2016年04月09日

久しぶりに更新します。

爺 長いこと投稿してなかったので、投稿の仕方を忘れてしもうたわ。ためしに送ってみるよ。

由香 もう2年以上経っていますね。この間に津田沼は大きく変わっていますよ。

ソメイヨシノ.JPG

爺 どんな画面が出るか楽しみじゃ。これからはちょくちょく更新してゆくよ。
posted by 絢 at 09:58| Comment(5) | TrackBack(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月01日

津田沼14−02


 ところで、ブログの提供会社が変わったので、左サイドの項目をクリックしても、その記事には行かなくなってしまっている。
由香
 auからseesaaに変わったので、http:を変えないとその記事には飛ばないということですね。

 7年間かけて少しずつ作ってきたので、膨大な量になっている。これを移動させるのは大変な作業じゃ。当分できそうにないなあ。
由香
 できるところからすこしづつやってゆくよりありませんね。

 ホームページはauのままなので移動できる。コメント欄も読める。そこまでじゃなあ。
posted by 絢 at 11:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月28日

津田沼14−01

由香
 じいさん、久しぶりの登場ですね。

 たしか去年の7月くらいが最後じゃったろう。その間にブログの提供会社が変わってしまった。
由香
 それで、表紙が変わったんですね。浮世絵みたいなのから青い鉄道の表紙になってしまいましたね。

 前と同じような表紙の絵がなかったのでこんなものになってしまった。auがサービスをやめてしまったので仕方ない。
由香
 Seesaaブログというものに変わったんですね。使い方はわかっているんですか。

 今日はじめて更新したんで、どうなるか不安じゃ。少しずつ慣れてゆくより仕方ない。しばらくは不便じゃろうが、時間が解決してくれるよ。
posted by 絢 at 08:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年09月10日

津田沼13−12

由香
 じいさん、2020年のオリンピックが東京に決まりましたね。

 生きている間に2度オリンピックが見られるかもしれない。ありがたいことじゃ。
由香
 前回の思い出はありますか。

 はるか昔でよく覚えていないなあ。東洋の魔女、バレーボール女子とか、はだしのアベベ、体操の活躍くらいかなあ。
由香
 2020年に向けて習志野市は何か準備すべきことはないんでしょうか。

 秋津のサッカー場は、男女の日本代表が使うくらい状態のいいピッチをしている。ぜひともここに外国チームを誘致してほしいなあ。宿舎は幕張にたくさんあるし。
由香
 いま臨時の市役所になっている旧クレストホテルを再開してはどうでしょう。観光客や選手の宿舎でホテルが不足するでしょうからね。

 一から建てなおすより、旧クレストホテルを再開した方が安上がりじゃ。いいかもしらんなあ。
由香
 市役所はどこへ移転するんですか。

 消防署の裏の駐車場に木造の純和風庁舎を建てればいいんじゃあないかなあ。旧クレストホテルで使っている面積くらいなら、あまり大きな建物は必要ないじゃろう。
由香
 東関東自動車道にもうすぐ完成する谷津・船橋インターチェンジも、いいタイミングで供用開始ですね。

 9月20日開通じゃから、グッドタイミングじゃ。入り口は東京方面しかないが、それで十分に便利になる。
由香
 出口も東京方面から来た車だけの出口ですよね。千葉方面から来た車は出られません。

 東京から来て、東京へ帰る車の出入り口だけで十分じゃ。この地域の利便性が飛躍的にアップするよ。

posted by 絢 at 08:53| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月28日

津田沼13−11

由香
 じいさん、習志野高校で起った傷害とタクシー強盗事件について市のホームページに出ていたことを転記しますよ。青い部分は7月9日、茶色の部分は7月26日付の公表部分です。


このたび市立習志野高校で発生しました事件に関し、その後の対応等につきまして市民の皆様に報告申し上げます。                                         
 去る6月28日(金曜日)には、習志野高校において、臨時全校集会を実施しました。この集会の中で、学校長より、事件の概要を説明するとともに、当事者生徒を含め、すべての生徒にとって望ましい人間関係を築き、目標をもって学校生活を送ることの大切さを改めて伝えました。
 また、6月29日(土曜日)には全校対象の臨時保護者会、7月6日(土曜日)には2学年対象の臨時学年保護者会を実施し、事件の概要と今後の学校での対応について説明しました。
 今後、学校とともに、教育委員会としましても、当事者となった両生徒が一刻も早く通常の生活に戻れるよう全力を尽くすとともに、全校生徒の心のケアに努めるため、関係機関と連携を密に対応してまいります。  習志野市教育委員会



更新:2013年7月26日

平成25年6月27日(木曜日)に発生した事件に関連し、「いじめアンケート」の実施等、事後の対応についてご報告いたします。

経過報告事件発生後、習志野高校においては次のような事後対応をしてきました。
(1)平成25年6月28日(金曜日)臨時全校集会の実施
(2)平成25年6月29日(土曜日)臨時保護者会の実施
(3)平成25年7月 6日(土曜日)2学年臨時保護者会の実施
(4)平成25年7月 9日(火曜日)全校生徒対象の「いじめアンケート」実施
(5)平成25年7月11日(木曜日)3学年臨時保護者会の実施 
(6)平成25年7月17日(水曜日)全校生徒対象の聞き取り調査の実施
(7)平成25年7月21日(日曜日)PTA臨時理事会実施

調査実施内容(1)全校生徒対象「いじめアンケート」の実施
  目的  学校生活での、これまでのいじめに係るすべての事案を把握するため。
(2)全校生徒対象「聞き取り調査」の実施
  目的  加害生徒と関連があるかどうかについて確認するため。

調査結果(1)教育実習生が加害生徒の名前を間違えて呼んだことに対し、笑っている生徒がいた。
(2)「体育の授業終了時に、加害生徒が被害生徒にぶつかられてきたことが不快であった。」と加害生徒が言っていた。
(3)「加害生徒の服装について、からかいがあった。」と別の生徒から聞いた。

 アンケートや聞き取り調査の回答から、「からかい的な事実」はあったものの、継続的に行われているものではなかったと判断しています。

 今般の事件発生に対して、保護者並びに地域関係者の皆様に、ご不安とご心配をおかけいたしましたことを重ねてお詫びいたしますとともに、今後、学校と連携を図りながら、再発防止と生徒の心のケアに向けて対応してまいります。
 習志野市教育委員会



 これだけではどうしてあんな事件が起ったのかよくわからん。もっと内容のあることを公表してほしいなあ。
由香
 そういえば、きのうは高校野球の千葉県大会の決勝で習志野高校は負けましたね。わずか1点差でした。

 事件も残念じゃし、決勝で敗れたのも残念。習志野高校にとっては、最悪の夏になってしまったなあ。
由香
 事件の続報を待ちましょうか。
posted by 絢 at 09:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月05日

津田沼13−10

由香
 じいさん、ご無沙汰ですね。

 最近は、話すこともなくなって、ご無沙汰しておる。しかし、ネットで読んだ「週刊文春WEB」
の話には腹が立った。
由香
 ミキティの出産に関するアンケートについてですね。

 女性が出産するかどうか、男性の名前を公開するかどうか、スポーツを続けるかどうか、すべて個人の自由勝手な話じゃ。週刊誌が、良いか悪いかアンケートをとるなんて、おこがましいにもほどがある。
由香
 マスコミの横暴という以外何もありませんね。何様だと思っているんでしょうね、文春は。、この問題に対して週刊文春が謝罪するのは当たり前ですが、その内容に対してもう1度、怒りの声を挙げさせて貰います。

 ネットに出ていた文章をコピーさせていただく。著作権に違反していると思うが、そのまま出させていただく。書いた人の名前を忘れてしまったんじゃ。



「  引っかかったのはこちらの文章。

このアンケートに関して不快な思いを抱かれたすべての方にお詫び申し上げます。今回のアンケートは中止させていただきます。ご回答をいただいた皆様にお詫び申し上げます。
出典:安藤美姫選手出産アンケートについて週刊文春より


謝罪する相手が違う。

まず謝らなければいけないのは、安藤美姫さんとその子どもに対してです。

「出産を批判しているような印象をあたえてしまいました」などと誤魔化すような書き方をしていますが、お前らは批判したんですよ、出産を。あの「安藤美姫選手の出産を支持しますか?」というアンケートで。

「そのつもりはなかった」と言い訳するかもしれませんが、「出産を支持しますか?」と問いかけた時点でおわってるんです。この問いは言い換えれば「安藤美姫さんの子どもが産まれてきて良かったですか?」と聞いてるようなものなんですよ。どれだけ失礼なことか分かってますか?

だから「アンケートに関して不快な思いを抱かれたすべての方」なんてどうでもいい。「ご回答をいただいた皆様」はもっとどうでもいい。まず謝るべき相手はこの世に産まれてきた子どもとその子を産んだ母親に対してです。

ボクらは不快に思っても、こうして怒りの声を挙げることができる。けれども安藤美姫さんは話題になるのを恐れて反論できず一方的に傷つけられるだけですし、なにより産まれてきた子がこんなアンケートが実施されたことがあると将来知ったとき、どれだけその心が傷つくか。そのことを人の親として考えたことがあるのか。

ボクは週刊文春に勤める人間すべてと、編集長の新谷学氏にそう問いたい。
編集部の上の人たちも了承した上で、公開したんでしょう。常識を欠く集団だと言われても仕方ありませんね、文春は。  」



由香
 この文を書いた人の名前がわかりませんが、全くそのとおりです。文春の責任者は責任をとって辞表を出すべき内容です。

 思い出した。篠原修司という人じゃ。勝手にコピーして申し訳ないが、文春の横暴を広く伝えるためじゃ。篠原氏のおっしゃるとおりじゃ。
由香
 責任を取る人が出ない限り文春の不買運動をすべきだと思いますね。
posted by 絢 at 21:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月06日

津田沼13−09

県職員の返還終了 不正経理問題 損害額8800万円上回る
2013年6月6日


 県は五日、二〇〇九年度に報告された不正経理問題を受け、県への損害として職員らが返還した額が十一億二千六百万円に達し、返還すべき額を八千八百万円上回ったと発表した。三月末を期限としていた職員からの返還を予定通り終了し、超過分は県の一般会計に繰り入れた。

 県によると、二〇〇三〜〇八年度の不正経理によって生じた損害額は十億三千八百万円。このうち、架空発注などで業者側に金を預けて管理させるプール金が四億二千万円。現職・退職管理職に共同返還させる一方、業者側にプール金の返還も求めていた。その結果、四月末までに職員らから九億一千百万円、業者から二億一千五百万円の返還があった。

 返還対象の職員ら三千五百七十九人のうち、四百三十八人は返還に応じなかった。一方で返還対象外の退職者から協力金などが集まり、八千八百万円の超過となった。

 県は返還交渉中の業者一社と分割納付中の五社に引き続き返還を求めている。


由香
 じいさん、これは今日の東京新聞の記事ですね。

 千葉県庁職員がみんなで不正経理をし、2003年からの6年間で10億円以上の損害を県に与えたという事件の続報というやつじゃなあ。それにしても10億円とは恐れ入った。県民を馬鹿にした話じゃ。
由香
 2003年より前はどうだったんでしょうね。それ以前は全くやってなくて、2003年からこれだけ大規模な不正経理を開始したなんてとても思えませんね。

 それ以前もやっていたが、時効とか、書類の保存期間が過ぎて廃棄されてしまったとか、そんなこととしか考えられんじゃろう。
由香
 損害額を越えて返還しているということは、それ以前もやっていたと自白しているような話ですね。

 ヤフーの千葉県のニュースではもっと詳しく報じている。業者の未納額は2億5千万円と書いてある。
由香
 この事件で逮捕されたのが、発覚のきっかけになった副主査たった一人というのが驚きですね。ほとんど組織全員でやっているとしか思えませんね。何百人も逮捕者が出てもおかしくないんじゃあないんでしょうか。職員全とっかえでもいいんじゃあないんでしょうか。あきれ果てた話ですよね。

 2003年から2008年というと、平成15年から20年ということになる。平成13年から21年までは堂本暁子が県知事じゃったから、この期間に不正経理が拡大していたようじゃなあ。これだけ大規模な不正経理を温存していたんだから、堂本は給料全額返納しても良いくらいじゃなあ。県知事選挙直前に発覚したから8年分の給料と退職金をもらっておったのかなあ。納得できんなあ。
由香
 その前は沼田武が5期20年も続けていました。職員と馴れ合いの20年だったとしか思えませんね。沼田時代も散々不正経理をやっていたとしか思えませんね。その総額は何百億円かわかりませんよ。

 国が要求している地方公務員の給料減額は、今年の7月から来年3月末まで7.8%下げるそうじゃが、そんなもんじゃあ納得できん。期間も%も低すぎる。
由香
 本当に腹が立つ話ですよね。
posted by 絢 at 21:43| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月27日

津田沼13−08

由香
 じいさん、何か話題はないんですか。

 ない。
由香
 テレビでスターバックスコーヒーのことを放送していましたよ。

 わしも見たよ。租税回避地を使って全世界的に税金を払っていないそうじゃなあ。
由香
 日本国内では985店舗あって、本国アメリカに次ぐ店舗数だそうですよ。

 わしは、スタバを利用したことはほとんどない。
由香
 貧乏性のじいさんでは無理でしょうね。ステータスのあるところは高いんですから。

 都心に安くておいしいコーヒーショップはたくさんあるのにどうしてスタバなんじゃろうか。
 何か日本人に、ドトールでは、はずかしいというような気分があるんじゃろうか。
由香
 世界中で税金を払わなくてすむ構造になっているようで、もうかってしょうがないようですよ。

 コーヒーを飲むと病気にならないというようなニュースがよく出るが、あれも「やらせ」じゃないかといつも思うが、よく出るなあ。
由香
 どこの大学の、どこの研究機関の誰がそう言ったのか発表してほしいですよね。
 どれだけ研究費をもらっているのか公表してから発表すべきだと思いますよね。

 とにかくスタバは大もうけじゃそうな。
 JR津田沼駅前にも2店あるそうじゃ。
由香
 お金のない爺さんでは、縁のない話でしたね。

 なんじゃと。

posted by 絢 at 20:40| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月07日

津田沼13−08

由香
 今日は何のお話ですか。

 ある方から以下のようなメールが届いた。

 習志野市の郊外住宅地に約800台の駐車場を持つ大型パチンコ店が建設されようとし
ています。パチンコ店の敷地から約100m離れたところには実籾高校、屋敷近隣公園、
老人福祉施設などがある清閑な住宅地で、大きな環境への影響が心配されています。
習志野市は学校から200m以内にパチンコ店などの立地を制限する習志野市風俗営業等
の規制に関する条例を今年4月末で廃止しました。これにより今月から着工できる状
況になっていますが、周辺の住民の多くは問題があるとして反対運動が続いていま
す。


 屋敷4丁目じゃそうな。

由香
 初めて聞きました。屋敷の方はあまり行ったことがないのでどんなところだかわかりませんね。

 とりあえず、今日のところはこんな話が入ってきましたよ、ということだけにしましょうか。
由香
 市議会議員が反対運動を始めるんでしょうか。

 わからない。

posted by 絢 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

津田沼13−08

由香
 今日は何のお話ですか。

 ある方から以下のようなメールが届いた。

 習志野市の郊外住宅地に約800台の駐車場を持つ大型パチンコ店が建設されようとし
ています。パチンコ店の敷地から約100m離れたところには実籾高校、屋敷近隣公園、
老人福祉施設などがある清閑な住宅地で、大きな環境への影響が心配されています。
習志野市は学校から200m以内にパチンコ店などの立地を制限する習志野市風俗営業等
の規制に関する条例を今年4月末で廃止しました。これにより今月から着工できる状
況になっていますが、周辺の住民の多くは問題があるとして反対運動が続いていま
す。


 屋敷4丁目じゃそうな。

由香
 初めて聞きました。屋敷の方はあまり行ったことがないのでどんなところだかわかりませんね。

 とりあえず、今日のところはこんな話が入ってきましたよ、ということだけにしましょうか。
由香
 市議会議員が反対運動を始めるんでしょうか。

 わからない。

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2013年05月03日

津田沼13−07

由香
 じいさん、ヤフーニュースを見ていたら、小倉コレクションについて出ていましたよ。

 小倉コレクションについては左サイドの「市内の重文級の文化財」の重要美術品1,2で話したねえ。
由香
 まずこの二つの話を思い出してもらいましょうか。
 重要美術品 1  
 重要美術品 2
 その上で、中央日報の記事を読んでもらいましょうよ。


 上の二つを読んだ方は、下の記事をお読みください。  


韓国文化財「小倉コレクション」 日本、かつて一部返還を検討
中央日報日本語版 4月30日(火)9時15分配信

日本政府が1960年代の韓日会談過程で「小倉コレクション」を韓国に返還することを考慮していたことが分かった。

小倉コレクションとは、日帝強制支配期に日本企業の小倉武之助(1870−1964)が韓半島全域で収集した文化財をいう。65年の日韓基本条約締結後、「私有文化財」という理由のため韓国に返還されなかった。小倉武之助の死後、息子の安之が82年、東京国立博物館に所蔵品すべてを寄贈した。

中央SUNDAYが27日、日本の市民団体「日韓会談文書・全面公開を求める会」(以下、求める会)を通じて入手した外務省文書によると、日本政府は「韓国側が特別に関心を見せると考えられる小倉コレクションのうち、少数を政府が購入または小倉の自発的意志で寄贈すること」を検討した。外務省はまた河合文庫、寺内文庫、梁山北亭里の出土品などを「現段階でひとまず(返還を)考慮できる品目」に分類した。

「文化財問題の解決方針に関する件」と題したこの文書は62年2月14日、外務省北東アジア課で作成された。「求める会」が情報公開請求を通じて外務省から受け取ったのだ。日帝強制徴用者賠償訴訟を進行したチェ・ボンテ弁護士は「当時、日本政府が個人所有の小倉コレクションを買い取る手段まで動員しようとしたことを表している」と評価した。

韓国側は光復(解放)直後から日本に対し、小倉コレクションの返還を繰り返し要求してきた。45年10月に「震檀学会」は米軍政庁を通じて、日帝強制支配期に略奪された文化財の返還を要求する決議案を当時のマッカーサー日本占領軍司令官に送った。また韓国政府は第1−7次韓日会談で小倉コレクションの返還を議題にし続けた。これを受け、外務はが文化財の返還に関し、韓国に一定の譲歩しようとしたとみられる。

しかし文部省が強く反発した。文部省傘下団体の「文化財保護委員会」の影響のためだった。この団体の核心だった細川護立は日帝の韓国文化財搬出に直接・間接的に関与した。

リュ・ミナ国民大日本学研究所研究員は「文化財の返還が日本の植民地支配に対する反省のようなものと考えたためだろう」と説明した。

韓国の返還要求と日本の前向きな検討にもかかわらず、小倉コレクション1030点は27日現在、日本東京博物館に残っている。ほとんどが一般人に公開されていない。外務省の文書で言及されたため搬出文化財も一部だけが返還されたり、すべて日本が所蔵している。

その理由に関する研究が必要な時期だ。クク・ソンハ大韓民国歴史博物館学芸研究家は「私たちが日本に小倉コレクションが不法に搬出されたという証拠を提示できなかったのも理由の一つ」と述べた。 (中央SUNDAY第320号


由香
 対馬から盗まれた仏像が日本に返還されない事件から、文化財についてのいろいろな話が出てきているということでしょうか。

 わしの過去の話と、この記事を読んでいただいて、みなさんに考えていただくことに致しましょうかなあ。
posted by 絢 at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月02日

津田沼13−06

マーガレット

由香
 じいさん、しばらく更新していなかったら、コメントが入っていましたよ。

 ボトルシップの話じゃなあ。

 「 習志野市は24日、第1次世界大戦中に設置された「習志野俘虜(ふりょ)収容所」のドイツ兵捕虜が作ったとみられる「ボトルシップ」が見つかったと発表した。」
 5月15日からモリシア7階で展示されるそうじゃから、写真でも撮りに行ってみようかなあ。
由香
 ここで写真は見られますよ。
    http://www.chibanippo.co.jp/c/news/local/133927 

 5月1日の読売新聞にも同じ写真が出ていたが、どうしてきれいな女性が一緒に写っているんじゃろう。
由香
 空き瓶みたいな写真だけじゃあつまらないからでしょうかねえ。
 ところで爺さんのこの写真はマーガレットですね。

 最近ご無沙汰しておったので、わしが育てた鉢植えの写真でごまかしておるだけじゃ。ではまた。

posted by 絢 at 08:12| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月11日

津田沼13−05

由香
 じいさん、今日は11日ですよ。あと1ヶ月で東日本大震災から2年になりますよ。

 早いもんじゃなあ。もう2年か。由香ちゃんも当日のことは良く覚えておいた方がいいよ。まだ若いんじゃから。
由香
 どうして私が良く覚えてなくてはいけないんですか。

 なにしろ貞観地震以来という地震じゃ。1100年以上前の話じゃ。こんなすごい大震災を体験したということは貴重な経験じゃ。
由香
 そうなんですか。

 もう15年も前の話になるじゃろうか。当時老齢の弁護士さんから関東大震災の話を聞いた。
由香
 関東大震災は大正12年、1923年9月1日の地震ですね。防災の日になっていますよ。

 その方は当時中学生で、伊豆の韮山に住んでいたそうじゃ。
由香
 伊豆は震源地に近いですね。すごくゆれたでしょうね。

 当時学校の校庭にいたそうで、校庭が波打っているのを見たということじゃった。
由香
 関東大震災の話を体験者から直接聞いたんですね。

 関東大震災を直接体験した人がまだ生きていたんだ。すごいなあと感動したんじゃ。その方は91歳で亡くなられたが、テレビなどがない時代の体験談だっただけに感動したよ。
 もし由香ちゃんが80歳、90歳まで生きて、東関東大震災の話を若い人にしてあげたら感動されると思うよ。
由香
 今は、テレビがありますから津波の映像は今後永く放映されることでしょう。体験談なんて感動されませんよ。

 そんなことはないと思うよ。千年に1度の大震災を体験した人がまだ生きているんだと思われるくらい長生きしてほしいなあ。
由香
 当時津田沼小学校の3年生だった女の子の話を記録しておいてあげましょうか。
 学校が終わって帰宅途中に菊田公民館のところにきて、公民館前の車がゆれているのを見たそうです。一緒に帰っていた友人に車がゆれていると言ったところ、そんな馬鹿なことがあるわけないといって笑われたそうです。

 公民館前の坂を下るとすぐにわいがや通りの信号の前に出るな。
由香
 信号のところにくるとみはし湯の前の電柱が倒れかかって、ゆらゆらしているのを見て、これはたいへんな地震だと思って、友人と走って帰ったそうです。家についてからも5分くらいゆれが続いていたそうです。

 みはし湯の煙突が倒れて電線を引っ掛けた。その力も加わったためか銭湯の前の電柱と道路反対側の電柱だけが東に大きく傾いていた。
由香
 結局この2本の電柱は取り替えられましたね。それ以外の電柱に、被害はありませんでした。しかし、電柱は大きくゆれたでしょうから、その間を走って帰って行くのは怖かったでしょうね。自分の頭の上にも倒れてくるんじゃあないかと思わせたでしょうからね。あの2本は。
 電柱だけではなく、商店街の街路灯もありますから、それらがいっせいにゆれている間を駆け抜けるのは怖いと思いますよ。

 そういう地元の体験談が聞く人を感動させるんじゃ。せいぜい長生きしてくだされや。
posted by 絢 at 19:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年02月07日

津田沼13−04

由香
 じいさん、お正月の話題から先へ進んでいませんよ。いつまでおめでたいんですか。

 おめでたいといえば、年賀状の切手シートが一枚当たっておった。久しぶりじゃ。長いこと当たってなかったなあ。
由香
 最近は年賀状を出さなくなりましたからねえ。メールだけで処理するし、爺さんは、ここで新年のご挨拶をしてしまうので、出す必要がないんでしょうねえ。

 切手といえば、昔の切手で困っておる人が多いそうじゃ。
由香
 私も聞いたことがあります。昔は、趣味といえば、切手収集くらいしかなかったので、記念切手を大量に持っているけれど、使い道がないという話でしょう。

 記念切手は、金額がばらばらで使いにくい、はがきに貼るにはサイズが大きすぎて貼りにくい、最近ははがきや封書を出すこともなくなったので使えない。三重苦状態じゃ。
由香
 日本人全体で、6兆円もの記念切手が死蔵されているという話も聞いたことがありますよ。今では額面以下の価値しかないそうですね。

 そこで昔の記念切手の使い道をここで話しておこう。何かの参考になればうれしいなあ。
@ 郵便局の小包、郵パックの料金は記念切手で払える。
A 書留、現金書留、簡易書留、速達の料金は記念切手で払える。
B 出し残った年賀はがき、古いはがき、書き間違えたはがき、などは5円の手数料で新しいはがきと交換できるが、1枚あたり5円を記念切手で支払うことができる。
C はがきや年賀状を新規に購入するときも、1枚あたり55円分の記念切手で支払うことができる。寄付金付き年賀状を55円で買ったと思えばがまんできるじゃろう。
D 郵便局へ行くときは必ずストックブック、切手帖を持ってゆき、記念切手で支払えるかどうかを確認する。現金はそのあとで出すように習慣付ける。
E 会社にもストックブックを持ってゆき、仕事で郵便を出すときも会社から支給される普通切手と交換してもらって使う。普通切手にしておけば使いやすいからじゃ。
由香
 はがきに記念切手を貼るのはスペースがなくて困るんですよね。爺さんのアイデアは参考になると思いますよ。日本中で困っている人がたくさんいるそうですからね。

posted by 絢 at 07:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月07日

津田沼13−03

謹賀新年 習作

由香
 じいさん、持病の認知症がかなり進んだようですね。

 なんじゃと。
由香
 昨日と同じ物を出してますよ。わかってないんじゃあないですか。この絵は昨日と同じものですよ。

 同じではない。
由香
 どこが違うんですか、全く同じ構図ですよ。ボケまくっているんじゃあないんですか。

 昨日と同じではない。
由香
 どこが違うんですか。

 昨日の絵をアップしたらかなり容量を食っておった。そこで容量を大幅に下げたものに変えてみた。
由香
 どんだけ違うんですか。

 昨日のは119万バイトじゃが、今日のは19万バイトじゃ。100万バイト違うとネット上でどう見えるかの練習じゃ。まだまだ下手なもんでなあ。
由香
 今日はそれだけですか。お正月らしい話はないんですか。たとえば初詣とか。

 元日は地元の菊田神社と東漸寺に行ってきた。2日は相模の国一之宮・寒川神社にお参りした。昨日の6日は、渋谷で新年会があったんで、神田明神と明治神宮にお参りしてきた。
由香
 すごいですね、そんなにたくさん初詣に行く人はあまりいませんよ。

 神社仏閣めぐりほど楽しいものはない。今後も、小さな社寺を次々巡る予定じゃ。
由香
 寒川神社って、すごく遠いんじゃあないですか。行くだけでもたいへんでしょう。

 往復で5時間以上かかる。交通費も往復で3千円以上かかる。
由香
 寒川神社でゆっくりしていたら1日が終わってしまいそうですね。

 八方除けのお祓いを申し込んで登壇したら、1日が終わってしまうほど遠いよ。
由香
 どうしてそんな遠方の神社に参詣するんですか。

 そのうちにホームページで紹介しようと思っておるんで、その機会にお話しましょう。
posted by 絢 at 07:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月06日

津田沼13−02

謹賀新年 習作

由香
 じいさん、また年賀状みたいなものを出してきてなんですか。

 ちょっと、練習で作ってみた。こんな感じに作ると、ネット上ではどんなふうに見えるのかの練習じゃ。
由香
 お正月だから我慢できますが、普段なら眼がちかちかして耐えられませんね。
 ところで、何か習志野市内の話題はありませんか。お正月らしいのがいいですね。

 全国高校サッカーの千葉県代表の八千代高校が7対1の超大差で完敗した。
由香
 ぜんぜんうれしくない話ですね。もっとおめでたいのはないんですか。

 オービックシーガルスが3連覇を達成した。めでたいじゃろう。12月17日に社会人選手権で鹿島デアーズを破って3連覇を達成し、1月3日に大学王者の関西学院大学を残り34秒から逆転して、3連覇を達成した。どうじゃ目出度いじゃろう。
由香
 なんのスポーツの話ですか。ぜんぜんわかりません。

 ライスボウルじゃ。
由香
 カレーライスにボールが入ってるんですか。

 アメリカンフットボールの話じゃ。
由香
 習志野市内にアメフトのチームがあるんですか。

 茜浜のグランドをホームにしているアメリカンフットボールのチーム、オービックシーガルズがライスボウルで3連覇を達成したんじゃ。
由香
 それは正月らしい目出度い話ですね。でも、今のところアメフトはマイナーなイメージですね。将来はビッグな話になるでしょうね。先物買いでいいんではないでしょうか。

 もうちょっと喜んでほしいなあ。
posted by 絢 at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月01日

津田沼13−01

謹賀新年

由香
 あけましておめでとうございます。

 おめでとうございます。今年は良い年になってほしいなあ。
由香
 この写真はミニ水仙ですか。

 年末まで、毒ガス兵器の話が続いたんで、新年はさわやかな写真を見ていただこうと思って出したんじゃ。
由香
 ミニ水仙が群落になっているんできれいですね。拡大するといいかもしれませんね。

 本日は、新年のごあいさつだけで失礼致します。

posted by 絢 at 16:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月29日

津田沼12−33

旧陸軍習志野学校跡地のほんの一部

由香
 じいさん、何ですかこのちっこいちっこい写真は?

 さむねいるじゃ。
由香
 何のことですか、サムさんが寒くて寝込んだんですか。

 それは「サム寝入る」か「寒寝入る」じゃ。
 写真をクリックすると拡大していくのをサムネイルというじゃろうが。
由香
 すいません。わざとずっこけてみました。ここは2回まで拡大するんですよね。
 この写真は、誰かが原っぱを掘り返して、ブルーシートを掛けたようですね。

 赤筒が発見されたというんで、習志野市泉町の旧陸軍習志野学校の広大な跡地を見に行ってきた。
由香
 ここがその現場ですか。

 わからん。当時、研究所の建物が建ち並んでいたという、現在の「習志野の森」の北側は広大な公務員宿舎になっている。その一角に、掘り返したあとがあったんじゃ。ここ以外に、それらしい場所はなかったよ。
由香
 そもそも、毒ガス兵器研究所をどうして習志野学校といったんですか。学校じゃあないじゃないですか。

 どこかの国が、大陸間弾道ミサイルの発射を人工衛星の打ち上げと言っとるじゃろう。もし、「習志野毒ガス兵器研究所」という看板を掲げたら、どうなると思う。
由香
 全世界から非難されますよ。どこかの国みたいに。

 スパイ養成機関を陸軍中野学校といったのと同じ事じゃ。
由香
 オブラートに包むということですね。

 そんな甘い感じの言葉かなあ。
由香
 「遠まわしに言う」という表現ですか。

 遠すぎて意味が伝わらんじゃろう。
由香
 「羊頭狗肉」ならどうですか。

 まあ、それの方が近い言い方かなあ。学校といいながら、毒ガス兵器を研究しとったんじゃから。
由香
 全世界から非難される研究所だったから、習志野市も国も調査をせず、放置しているんですか。

 よくわからん。しかし、「陸軍習志野学校」という本は編纂されている。
由香
 どこで見られますか。

 それがどこの図書館へ行っても置いてない。
由香
 爺さんが、千葉県の歴史史料の宝庫だという船橋西図書館はどうですか。

 習志野市内の図書館、船橋西図書館、千葉県文書館へ行っても開架には置いてない。
由香
 閉架から出してもらえばいいじゃないですか。

 それが、わしは気が弱くてできない。どうして誰もが見えるところには置かんのかなあ。見てはいかんのかなあ。
由香
 しかし、旧陸軍習志野学校跡地で初めて発見された毒ガス兵器なんですよね。まだまだあるかもしれませんね。おお怖い。

 習志野市内には、まだまだ興味深い歴史の闇が眠っておるということじゃ。
由香
 研究所の建物が建ち並んでいた地下、ガス室といわれる八面房の周囲、材料が置いてあった倉庫周辺、おおこわい。
 でも、旧町名である津田沼町には、多くの騎兵連隊があり、参謀本部があり、鉄道隊があり、戦車学校があり、毒ガス兵器研究所、皇族も大将として町内に、地元の人の家を借りて住んでいたのに、どうして米軍はB29でじゅうたん爆撃しなかったんでしょう。

 よくそんな言葉を知っておるなあ。
 米軍は、終戦後、習志野学校を接収し、学校史の作成を命じたという。
由香
 学校史を作れといったんですか。破壊するんじゃあなかったんですね。
 そして、それが「陸軍習志野学校」の本になったんですね。
 米軍は、津田沼があまりにも日本軍の中枢部だったんで爆撃しなかったということですか。

 アメリカに聞いてくれ。
posted by 絢 at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月22日

津田沼12ー32

あか筒


由香
 じいさん、何ですか突然、わけのわからない写真を出してきて。

 これは赤筒じゃ。
由香
 あか筒ですか。何のことだかわかりません。写真にメジャーがでているんで、長さ25センチ、横12センチくらいの円筒形の物体であったことはわかりますよ。でも、かなり錆びているんで、古い茶筒といった感じですよね。

 そんななまやさしいもんではない。危険極まりないもんじゃ。
由香
 危険な茶筒ですか。本当のことを言ってくださいよ。なんなんですかこの写真の円筒形の物体は。

 だから「あかづつ」といっているじゃろう。仕方がない、ネットで赤筒の説明を探してここに貼ってあげよう。

赤筒は燃やしたら猛毒になる、加熱しないと毒性はでません。赤筒というのは、ブリキの缶の中に単独で燃焼性の高いくしゃみ性のガスを詰めて、中で一本一本燃えるような仕掛けにしとった。そのガスが中国では一番使われておったということがわかった。日本もかっての外務大臣河野洋平が日本は赤一号の化学兵器を中国で戦争に使ったということを認めてる

由香
 赤筒だから字を赤くしたんですか。眼がちかちかしますよ。要するに、旧日本軍が作っていた毒ガス兵器なんですよね。その写真をここに貼って何の意味があるんですか。

 旧陸軍習志野学校跡地で赤筒が発見されたんじゃ。習志野市内の話をしとるんじゃ。
由香
 それはたいへんですね。やはり陸軍習志野学校は毒ガスの専門学校だったことの証明のような発見ですね。いつも爺さんが言っているように、旧津田沼町は軍都と呼ばれ、軍事施設がたくさんあったところだから、軍事施設をできるだけ保存し、文化財として残して行くべきだという話に、またひとつ有力な資料が見つかったということですね。

 そんな、たわごといっておる発見ではない。中国国内では赤筒がたくさん発見されている。旧日本軍が持ち込んだものじゃ。その撤去に莫大な費用がかかる。それと同じ物が習志野市の旧陸軍習志野学校跡地で発見されたということじゃ。
 市役所のホームページの記載をここに貼っておこうかなあ。


環境省は、平成24年12月21日、千葉県習志野市の旧陸軍習志野学校跡地内で、老朽化した「あか筒らしきもの」を約760個発見したと発表。
 今回発見された物体は、直径約11cm、長さ約22cm程度の円筒形をしており、外観的な特徴から旧軍のあか筒の可能性があると考えられるため、現在、密封措置したうえで安全に保管されている。
 現場は、旧陸軍の化学戦教育機関である習志野学校跡地内にあることから、工事を行う際には旧軍老朽化化学兵器が発見される可能性に留意するよう、環境省が平成17年3月に指針を示しており、地権者においては、同指針に沿って、レーダー探査等や携帯型化学剤検知器による安全確認調査を行いながら、工事が実施されてきており、物体の発見・回収時において、旧軍の毒ガス成分を検知することはなかった。また、撤去工事は無事完了しており、あか筒の可能性がある物体以外には特に異常や危険物の発見はなかった。
 なお、現場では、平成21年度にあか筒の可能性がある物体が61個発見されているが、当時、入念的な措置として、環境省が周辺の地下水調査及び土壌調査を実施したところ、旧軍のくしゃみ剤及びその関連物質は検出されていない。
 今後、環境省では、当該物体の調査を行い、その結果を踏まえ、適切に処分する予定。【環境省】



由香
 これは、環境省の発表ですね。環境省が処分をすると書いてありますよ。

 軍事遺産は、将来日本の重要文化財になる。ぜひ習志野市で保存し、軍都博物館を造って展示してほしいもんじゃのう。
由香
 郷土史料館を造ってくれと言ってたんじゃなかったんですか。軍都博物館に変わったんですか。

 どっちでもいいから造ってくれ。

posted by 絢 at 22:26| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年12月19日

津田沼12−31


 昨日は久しぶりに東京の都心を散策してきましたよ。
由香
 どこを散策したんですか。

 日比谷公園じゃ。
由香
 こんな寒い冬に日比谷公園に行っても、花も咲いてないし、つまらないでしょう。

 それが結構花盛りじゃった。
由香
 何の花が咲いてました。

 まず、帝国ホテルに面したエントランス部分には、バラが植えられていて、きれいに咲いていた。そこから奥のほうに入っていっても、白い葉牡丹が寄せ植えになっていてきれいじゃった。珍しいのは、ツワブキがたくさんあって、あちこちで黄色い菊のような花を一斉に咲かせていて見事じゃった。日比谷公園はツワブキの名所じゃなあ。
由香
 ツワブキを調べるとキク科ですから、菊のような花に決まってますよ。でも、たくさんあるのは珍しいかもしれませんね。

 それから、今は咲いてなかったがシャガの葉が、日陰の部分にたくさんあって、これも珍しかったよ。
由香
 シャガも調べると日陰の湿ったところでよく育つそうですよ。東京都の準絶滅危惧種に指定されているそうですから、日比谷公園にあるのは貴重なシャガと言えそうですね。ほかにどんな花がありました。

 サザンカが咲いていると思って葉っぱを良く見ると、葉の根もとに毛が密集していなかった。
由香
 何を言っているのかわかりません。サザンカの葉の付け根がどうかしたんですか。

 葉の付け根に微細な毛が密集していないと寒つばきになる。
由香
 要するに、サザンカと寒つばきの区別の仕方を言っているんですね。日比谷公園のはサザンカではなく、寒椿が咲いていたといいたいんですね。

 そうじゃ。
由香
 ほかに何かありましたか。

 日比谷公園の帝国ホテル側入口に日比谷花壇があったろう。
由香
 そういえば、小さな花屋さんがありましたね。あれが日比谷花壇なんですか。何の変哲もないただの花屋さんという記憶がありますよ。

 それがすごくモダンな真っ白い、こざっぱりした建物に変わっていた。あまりにも以前のイメージと変わってしまっていたので驚いたよ。
由香
 それも調べると、もともとは帝国ホテルの中にあった花屋さんが公園側にも出店したのが日比谷花壇の始まりだそうなので、やはり普通の花屋さんだったんですよ。

 それが今では、全国に出店し、ヒビヤフラワーアカデミーという学校を開校し、青山葬儀所、夢の島公園、夢の島熱帯植物園の管理もし、海外へも進出しているという。
由香
 大発展を遂げているというわけですね。爺さんが見た、日比谷公園の白い建物は2010年度、グッドデザイン金賞を受賞したと書いてありますよ。

 良いものを見させていただいた、ありがたやありがたや。
由香
 ほかに日比谷公園で言いたいことはありますか。

 普通の公園は、常緑樹の下は日陰になって、雑草も生えず、地肌が見えているものじゃ。ところが、日比谷公園は日陰の部分も、シャガ、ハラン、ヘデラ類で覆われており、地面が直接見えないように植栽されておった。さすがじゃ。
 この時期は、園内が落ち葉でいっぱいになるもんじゃが、落ち葉もなかった。掃除が行き届いているなあと感心したよ。
由香
 日比谷公園だけを見てきたんですか。

 わしは、若い頃、八重洲ブックセンターに近いところにあった会社に勤めておった。八重洲から銀座は、若い頃の思い出が詰まった場所なんじゃ。じゃから、思い出に耽りながら、その辺を通過して帰途についたというわけじゃ。
由香
 そんなすごい場所に勤務していたとはとても思えない現在の爺さんですね。似合ってません。

 なんじゃと。
posted by 絢 at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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