2006年10月31日

津田沼の東漸寺33


 市内には谷津干潟、谷津バラ園、古民家、鷺沼の源頼朝伝説、戦争遺跡とバラエティに富んだ観光資源がある。それに加えるとしたら、市立習志野高校だろう。
由香
 習志野高校が観光地になるんですか。

 習志野高校ではなく、OBじゃよ。習高OBには、全国レベルの人気と知名度をもった人がいる。これを、観光に利用するんじゃ。
由香
 元阪神タイガースの掛布選手、元中日ドラゴンズの谷沢選手など、野球部OBには多くのプロ野球の選手がいましたからね。現役ではロッテの福浦選手をはじめ、横浜にも阪神にもいますね。

 その人達から、サイン入りバットとボールや色紙をもらい、彼らが練習をしたグランド脇に小さな展示施設を造るんだ。
由香
 市役所や公民館、図書館などに分散して置いてもいいですね。その他にもたくさんの選手がいますからね。

 ワールドカップドイツ大会で1点を入れた玉田圭司ものは、秋津サッカー場に展示してはどうじゃな。
 OBではないが、市内出身のオリンピック金メダリスト鈴木大地も、何か記念に展示してもよいじゃろう。
由香
 鈴木大地さんの記念碑は、新習志野駅の国際水泳場にあるって聞いていますよ。

 観光用に巨大な箱ものを造ろうと考えず、小さなものを町中に分散して展示するんじゃ。それらを見て歩く、散策都市にするんじゃ。これからは時間と金のある、シルバー世代が大量に発生するので、彼らに市内を歩き回ってもらえるようにするんじゃ。そうすれば市内の商店も活性化するじゃろうに。
由香
 市内では30ヶ所以上で、縄文土器が発掘されていますから、その発見地点に、説明板を置くのもいいかもしれませんね。

 世の中にはいろいろな人がいる。だから、いろいろなものを少しづつ展示しておけば、見に来ようとする人がいるもんなんじゃよ。習志野文化ホールの脇に、名人といわれた落語家の終焉の地の碑があることを知っているかね。落語ファンが見に来るかもしれんよ。
由香
 野球は、この辺りはほとんど巨人ファンだと思いますが、元阪神タイガースの掛布選手の記念品を見ようと思う人がいるんでしょうか。

 馬鹿なことを言うんじゃない。
 

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2006年10月30日

津田沼の東漸寺32


 日本人用には、以前に何度も話したように、鷺沼がある。源頼朝が家来の武士達と集合した場所であることは、吾妻鏡から明らかなんだから、もっとそのことを宣伝すべきじゃろう。
由香
 その話は、今までに何回も出ていますね。

 そのほかには、軍都であったことを紹介すべきだろう。最近では、戦争遺跡が観光の目玉になりつつあるんだ。広島の原爆ドームはとうとう世界遺産になってしもうたわ。
 習志野市は、軍都といわれ、軍隊に関する遺跡の宝庫なんだから、これを活用しなければうそだろう。破壊ではなく、保存を考えてほしいね。
由香
 陸軍習志野学校は、毒ガス兵器を研究、製造していたことで有名ですね。毒ガス兵器の展示館があってもいいかも。

 悪魔といわれた、八面房の跡地が発見されたという記録もある。
由香
 八面房ってなんですか。

 その実態は、明らかにされていないから知らん。タブーというやつだな。かくされるとよけいに、あれこれ想像してしまうな。
由香
 悪魔といわれたものが、市内にあったんですか。

 だから、実態が明らかにされていないんで、何も言えんのじゃよ。
由香
 なんだか、こわーい。

 だから、観光にはうってつけじゃないか。怖いもの見たさは、人間の本能のようなもんじゃからな。
由香
 ほかには、何か観光資源はありますか。
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2006年10月29日

津田沼の東漸寺31


 ギリシャでも、アクロポリスの丘の神殿を見学したあと、古代墓地を見学したよ。
由香
 こんどは、ピラミッド型ですか、ドーム型ですか、彫刻型ですか。

 どれでもないよ。何の変哲もない、ただの墓地だった。
由香
 どうしてただの墓地を見るんですか。

 日本でも、生きている人間は、神社に集まって、おみこしをかついで、ドンちゃん騒ぎをする。しかし、人はいつか必ず死ぬ。死ねば、墓地に葬って、死者の町で静かに暮らしてもらうことになる。
由香
 生きている人間の町と、死者の町は、表裏一体ということですか。いつか必ずそこへ行くんですからね。

 津田沼で言えば、菊田神社は生きている人が、神輿かついで、お祭りをするところ。東漸寺は、地元の亡くなった人々、つまり仏様をお祭りするところ。ギリシャでは、神殿のある、生きている人々が集まった場所をアクロポリスと言った。その横には、死者の町があった。
由香
 死者の町は、何と呼ばれたんですか。

 ネクロポリスと言う。
由香
 生きている人の町をアクロポリスと言い、その横には死者の町ネクロポリスが必ずあることを、見せるために、何の変哲もない古代墓地を見学したと言うことですね。ギリシャらしい哲学的発想ですね。

 神社があれば、その近くにお寺の墓地がある。ギリシャでも神殿があれば、近くに墓地がある。世界中どこでも同じだということを、見学させられたんじゃろうか。
由香
 こうしてみると、けっこう、墓地の見学は多いんですね。習志野市も、外国人用に、東漸寺、古民家、和食の3点セットで、観光コースを開発するといいんじゃないでしょうか。
 それ以外に、日本人用の観光コースは開発できませんか。
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2006年10月26日

津田沼の東漸寺30

由香
 習志野市内には、建築時期の記録が残る古民家としては、関東以北で最古と言われる、1664年築の旧大沢家が、藤崎森林公園に移築保存されています。さらに、千葉県で2番目に古く、関東地方でもベストテンに入る古さの、旧鴇田家が実籾本郷公園に移築保存されています。これで古民家見学は十分でしょう。

 旧鴇田家の、屋根裏の小屋組みのすごさは、川崎民家園にも負けんほどじゃよ。一見の価値は十分にある。
 昼食の、日本料理はどこでも用意できるじゃろう。韓国で冷麺がつくんなら、日本は、おそばかうどんをつければよい。ラーメンでもいいかもしれんな。
由香
 そして、この東漸寺の墓地を見学すれば、日本文化見学の3点セットはすぐに充足できますね。ここは、江戸時代のいろいろな形態の墓石が残っていて、西欧人なら美術品的感覚で見学するでしょうからね。以前、ヨーロッパ系の人が、東漸寺の墓地を見学しているのを、見たことがありますよ。
 ところで、ここにある墓石の種類の名前だけでも、教えてくださいよ。

 さっき言った、如意輪観音型、地蔵菩薩型、五輪塔型、宝篋印塔(ほうきょういんとう)型などがあり、それぞれに時代による変化がある。
由香
 アメリカ映画に出てくる墓地は、四角い単純な墓石が置いてあるだけだから、彫刻作品のような日本の江戸時代の墓石は、単純なドーム型よりも見ごたえがあるかもしれませんね。

 そのうえ、東漸寺の墓地は裏に丘があるので、すり鉢状に、奥に行くほどあがっている。段段畑ならぬ、段段墓地になっていて、中心にいるだけで、墓地の墓石全体が見渡せるという、観光にはもってこいの形をしている。
由香
 習志野市は、東京と成田空港のちょうど中間にありますから、半日で日本文化を見たいとか、国へ帰る直前に、最後に見ていきたいというときに3点セットを利用してもらえば、十分にプチ観光に使えますね。時間があまれば、成田山新勝寺へ寄ってもらえば完璧ですね。
 藤崎堀込貝塚を発掘して、観光に利用するのもいいかも。

 そのためには観光バス用の駐車場を用意しなければならんが、そんなに難しいことではないな。それよりも、立派な観光3点セットが市内にあることに、誰も気づいておらんことが問題じゃ。日本は今、観光立国を目指しておる。それは、国や県単位のことだけではない。市でもできることはやってみるのが、市域の商業活性化につながるんじゃ。ここは湾岸道、京葉道路にも近く、地理的メリットがあるし、すべて、今ある施設を使うだけじゃから、夕張市のようなことにはならんと思うよ。
由香
 市役所には、爺さんのように、世界中観光旅行ばかりしている、暇な人がいないんでしょう。
 エジプトと韓国以外では、墓地を見学することなんてないんじゃないんですか。

 ギリシャでも墓地観光はあったぞ。
由香
 まだありますか。
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2006年10月25日

津田沼の東漸寺29


 カイロの町は、砂漠地帯より一段低くなっている。そして、ピラミッドに近い町外れには、あまり高い建物がないんで、砂漠側からピラミッドの写真を撮っても、少ししか町の様子が入ってこないんだよ。だから、大都会のすぐ横に大ピラミッドがあるように感じないんだよ。
由香
 エジプト観光が、ピラミッドという墓地の観光であることは認めましょう。しかし、これは特殊な例外なんじゃないですか。

 ほかにも、墓地観光はあるよ。
由香
 どこの国ですか。

 韓国がそうだよ。
由香
 どんな墓地ですか。韓国にもピラミッドがあるんですか。

 ピラミッドはないよ。そんな巨大なもんじゃない。人が入れる程度の高さのドーム型をした墓なんだ。
 順番に説明すると、韓国旅行をすると、まず、民家園に案内されて、韓国の古民家を見る。
由香
 日本でも、古民家は移築保存されていますよ。隣国ですから、日本と同じような建物なんじゃないんですか。

 韓国の古民家は、オンドルを見るんじゃよ。
由香
 屋根の上に、しゃちほこのように、巨大なハゲワシのような彫刻が取り付けられているんですか。

 それはコンドルじゃろう。わしが言っているのは、オンドルじゃ。
由香
 ニワトリの彫刻が屋根に取り付けられているんでしょう。

 それは、オンドリじゃ。屋根から離れなさい。わしが言うておるのは、オンドルじゃ。
由香
 オンドルって何ですか。

 床暖房システムじゃ。
由香
 日本でも、最近の住宅は床暖房システムが、多くなっていますよ。電気ですか、ガスですか。韓国は、昔から床暖房にしていたんですか。

 日本よりずっと寒い国だということがわかるな。薪を燃やした温風が床下に流れるようになっている。
由香
 逆に日本は、床下の通風をよくするように造っていますね。時差もないすぐ近くの国なのに、寒さのレベルが違うんですね。

 日本は、夏の蒸し暑さが猛烈じゃからだろうな。オンドルを見たあと、韓国料理の昼食をとる。たいてい冷麺がついておる。それからドーム型の墓地を見学する。
由香
 つまり、古民家、韓国料理の昼食、ちょっと変わった墓地の3点で、韓国文化を見学するワンセットになっていると言いたいんですね。

 その通り。
由香
 それなら、習志野市でも同じことができるじゃあないですか。
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2006年10月24日

津田沼の東漸寺28

由香
 有名なエジプトのクフ王の大ピラミッドと、われわれのイメージと、どこが違うんですか。

 大ピラミッドの写真を見ると、はるかな砂漠の中にぽつんと巨大なピラミッドがそびえたっているイメージがあるが、実際はそうではなかった。
由香
 クフ王の大ピラミッドは、砂漠のかなたにあるんではないんですか。

 新宿に行くと、駅から超高層ビル街が見えるだろう。町の中から超高層ビル街が見える、それとピラミッドが同じだったんだよ。
由香
 写真では、広大な砂漠のかなたに存在する大ピラミッドが、実際は、繁華街の向こうに見える超高層ビル街と同じだというんですか。

 人口1千万人を超える大都会であるカイロの町を、観光バスに乗って走っていると、町の向こうに大ピラミッドが見えているんだ。それは、ビル街の向こうに超高層ビルが見えているのと同じなんだ。
由香
 まさか、大ピラミッドのすぐそばに、人が住む町があるわけないでしょう。

 と、私も思っていた。ところが、カイロの町がなくなって、砂漠地帯に入った入口に、大ピラミッドがあるんだ。写真というものは、撮る方向で全く違うイメージを与えるものだと、つくづく思ったね。大ピラミッドから先は、はるかかなたまで砂漠なんだ。だから、町の方から大ピラミッドを撮影すると、ピラミッドは砂漠の中にあるように見える。
由香
 じゃあ、砂漠の方から大ピラミッドを撮ると、背景にカイロの大都会が写るんじゃないですか。

 それが、不思議なことに、写らないんだよ。
由香
 写らないとおかしいじゃないですか。カイロの町の、すぐ近くに大ピラミッドがあるんですから。

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2006年10月23日

津田沼の東漸寺27


 何を言ってるんだい。墓地は世界中で観光地になっているよ。
由香
 そんな馬鹿な。

 エジプトのピラミッドはどうだい。あれは墓だろう。
由香
 そう言われると、確かに墓かも知れませんが、壮大な大きさがありますよ。スケールが違いますよ。

 何を言っている。世界最大の墓は、日本の仁徳天皇陵だろうが。日本にも、巨大な墓がたくさんあるよ。高松塚も、キトラ古墳も鷺沼古墳も墓だろう。王家の谷も、墓地の見学だろうに。
由香
 王家の谷って何ですか。

 エジプトの王家の谷じゃよ。
由香
 エジプトの古代の墓は、みんなピラミッドになっているんじゃないんですか。

 紀元前4000年も前の、古い時代はピラミッドを造る権力があったが、紀元前1500年くらいになると、そんな力はなくなっていた。だから、ピラミッド型した山のふもとに穴を掘って墓にした。これが王家の谷じゃろう。60以上も王様の墓が密集しているんじゃ。
由香
 見てきたようなことを言わないでください。

 見てきたよ。ツタンカーメンの墓も見てきたよ。
由香
 写真でよく見る、ギザのクフ王の大ピラミッドも見たんですか。

 当然じゃよ、観光名所じゃからな。しかしあれには驚いたよ。イメージと全く違っておったんじゃ。

 
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2006年10月22日

津田沼の東漸寺26

由香
 墓地で、芸術の勉強ですか。

 ほら、さっき、弘法大師空海が、編み笠かぶって歩いている石像があったろう。
由香
 本堂の左にありましたね。

 これで、石像彫刻の勉強になるじゃろう。鐘楼にもいろんな奇獣の、木の彫刻が彫ってあったろう。
由香
 そういえば、無縁の墓の、山のように積み上げられた中にも、彫刻のあるものがたくさんありますね。女の人が片ひざついて、首を曲げて、かわいらしい格好の彫刻のついた墓石がたくさんありますね。

 あれは如意輪観音(にょいりんかんのん)じゃよ。女の人の墓石じゃろう。地蔵菩薩のような墓石は、子供の墓石じゃろうか。最近の寺は、無縁になった古い墓石を処分してしまうところが多いようじゃが、東漸寺はこのように、山のように積み上げて残してある。将来必ず、ご利益があると思うよ。
由香
 墓石だから、制作年代も書かれていて、時代による彫刻の変遷までわかりますね。日本の年号である和暦の勉強にもなるわ。

 最近では、こうした墓石の彫刻を芸術作品として評価する動きもあるんじゃよ。今までは、無縁になってしまった墓石は、石ころ程度にしか思われていなかったのに。
由香
 時代は変わってゆくんですね。そのうち、墓石が芸術作品として、高価に取引されるようになるかも知れませんね。如意輪観音の姿の変化を研究する人も出てくるんじゃないでしょうか。

 そうかもしれんな。それよりも、わしに言わせると、この墓地全体を、外国人用の観光地にしていいと思っているよ。
由香
 墓地がですか。墓地が観光地になるわけないでしょう。馬鹿なこと言わないでくださいよ。

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2006年10月20日

津田沼の東漸寺25


 墓地は教育にいいよ。春と秋のお彼岸には、必ず子供を連れて墓地へ行くことじゃ。
由香
 ご先祖様を敬い、墓を守ってゆく気持ちを育てられるでしょうね。東漸寺の墓地も、無縁になってしまった墓石が、山のように積み上げられていますね。こうならないようにしたいものですね。

 墓地は、漢字の勉強にもなるよ。
由香
 漢字ですか。

 墓石の中を歩き回っていると、かくれんぼをしているみたいで、幼児は喜ぶんだ。そのうちに、○○家の墓と書いた字を教えてやると、同じような名前がたくさんあるから、名前の漢字が読めるようになるんじゃ。
由香
 漢字は象形文字だから、形を認識できるようになると、幼児でも、読めるかもしれませんね。

 幼稚園児が、名前の漢字を読めるようにしたければ、墓地でかくれんぼをしながら、墓石に書かれた字を教えてやると、読めるようになるよ。お彼岸やお盆には墓地へ行くだろう。その程度の回数でも、読めるようになることを、知っているのはわしだけじゃよ。
由香
 ぜんぜん自慢にならないと思いますが。

 墓地は、芸術の勉強にもなるよ。
由香
 芸術ですか?
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2006年10月19日

津田沼の東漸寺24


 習志野市内には、こんなに面積が小さいのに、図書館が5つもある。だから、早いうちから図書館で、子供に本を借りて読む習慣をつけさせてほしい。
由香
 県内の他市は、図書館が少ないんですか。

 平成13年の、ちょっと古い記録じゃが、面積13倍、人口5倍の千葉市には、市立図書館は7つで、県立を含めても9つじゃ。面積も人口も3倍以上の船橋市は4つで、市川市は5つじゃ。関宿と合併し、面積4倍、人口3倍の松戸市は1つじゃよ。柏市、我孫子市、流山市、鎌ヶ谷市、浦安市はみんな1館じゃ。ほかの市町村は、ほとんど1館か2館しかないよ。
由香
 これだけ図書館に恵まれた習志野市は、千葉県内では最高の読書環境にあるんですね。まさに文教住宅都市じゃないですか。

 図書館が遠いと行くのがおっくうになる。習志野市内は、自転車で10分以内に行ける場所に、図書館がある。これを利用しない手はない。市民の誰もが、子供が小さい頃から図書館になじませられる、県内で唯一の市なんだから、有効に利用してほしい。
由香
 小学校の中、高学年になるとどこが、情操教育にいいですか。

 図書館を有効に利用するのは、当然じゃが、実籾本郷公園をうまく使ってほしい。ここには、江戸中期建築の旧鴇田家が、移築保存されているだけではない、その前に小川があり、ザリガニ捕りが大人気なんじゃ。メダカも、ドジョウも、おたまじゃくしもいる。小川の遊びが満喫できるのは、市内ではここだけじゃ。周囲には田んぼもあり、緑に恵れ、遊具もあり、子供を遊ばせる最高の自然環境がある。市内では最高のドリームランドと言っていい。ディズニーランドよりも、ここへ連れてくるのが正解なんじゃよ。
 由香ちゃんは行ったことがあるかい。
由香
 残念ですが、行ったことがありません。誰もそんなことを、教えてくれる人がいませんでした。
 中学生になると、どこがいいですか。

 手遅れじゃ。中学生になると、親が教育することはできん。最近は、親を傷つける中学生が報道されているじゃろう。中学生になると、あれこれ言ってはいかん。学校などの教育機関にまかせるべきだ。
由香
 それでは、墓地が、教育にいいというのは、どういうことですか。
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2006年10月18日

津田沼の東漸寺23


 わしは教育者ではない。しかし、お勧めといわれると、市内にもいいところがあるよ。
 幼児の頃は、お近くの公園へ連れて行ってやってほしい。市内の公園は、どこでも遊具がある。これで遊ばせてやってほしい。車があれば、市内の小公園めぐりをするといいよ。形の違う遊具がいろいろあって面白いんだよ。以前、市に、市内の公園にある遊具を紹介するパンフレットがあるといいと提案したが、実現しとらんようじゃな。袖ヶ浦団地の中には、たくさんの小公園があって、楽しいよ。
 幼児専用の、鷺沼子供園もおすすめじゃ。
由香
 幼稚園から小学校低学年はどこがいいですか。

 これこそ、さっき言った、網を持って昆虫採集を親子でやってほしいな。この年代にやっておくのが、一番情操教育に効果的じゃよ。最近は昆虫も増えてきた。今年の夏は、とうとう玉虫を見つけたよ。玉虫は、わしらの子供時代でも、そんなにたくさんはいなかったから、玉虫がいるということは、自然が回復してきた、大きな証拠と言っていいよ。
 小学校で、昆虫採集の授業があれば、わしが指導してやりたいくらいだよ。ただし、捕ってもすぐ逃がしてやるんじゃが。
由香
 ぜひやってくださいよ。ゆとり教育の授業があるんですから、昆虫採集なんて、最高じゃないですか。

 ゆとり教育か・・。紙芝居もいいな。
由香
 紙芝居なんか、私たちも知りません。見たこともありません。爺さんが、ゆとり教育で、紙芝居をやってあげたら、子供たちの情操教育にどんなに役立つことでしょう。私も見たいくらいですよ。

 わしらが子供の頃は、学校が終わると公園へ行く。するとそこには紙芝居のおじさんが来ていて、いくらか忘れたが、飴を買って、紙芝居を見ていたものじゃ。紙芝居が終わると、みんなで公園で遊ぶ。子供がたくさんいて、みんなで遊べる時代じゃった。最近の子供はかわいそうじゃよ。
由香
 ゆとり教育の時間には、昔遊びというのがあって、こま回しやめんこなどが指導されているそうですよ。

 わしは現場を知らんので、勝手なことはいえんが、ただ単に昔の遊びを復活させるんじゃあなく、情操教育に役立つ遊びを復活させることが、重要であることを忘れんでほしいな。単にコマ回しをするくらいなら、将棋や囲碁を教えてくれた方が、いいと思うんじゃが。
由香
 ほかにも言いたい事がありますか。

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2006年10月17日

津田沼の東漸寺22


 虫取り網は、今では百円ショップで買えるが、これ1本で豊かな情操教育ができるんじゃ。
由香
 どう使うんですか。

 習志野市内にも、蝶やトンボがいる公園はたくさんある。久々田公園、鷺沼城址公園、袖ヶ浦近隣公園なんかがいいな。
 蝶やトンボは向こうから、網に入ってはくれんよ。蝶やトンボを捕りたければ、追いかけて、網に入れないといかんな。そうすると、子供は、どう追いかけるといいか、どう網を振り回すといいか、自分で考えるようになる。大人に教えられても、うまくはいかん。自分で体験し、失敗を重ね、その積み重ねの中から、上手に蝶やトンボ、セミにバッタを捕まえられるようになるんじゃ。
 追いかけてだめな昆虫なら、来るのを待つようになるじゃろう。そこから、昆虫には好きな木があることを悟る。セミは、どの方向から近づくと逃げられないか。トンボやバッタはどうすれば、素手でつかまえられるか。こういうことを体験する中から、創造性、自主性、積極性が生まれてくるんじゃ。
 こういうことをしていると、そのうちに生き物を飼うようになる。金魚にメダカ、ザリガニ、カブトムシやカミキリムシなど、あらゆるものを飼おうとする。そこから、生き物への愛情、生命のはかなさ、命の大切さ、などの感受性が養われてゆくんじゃ。そのうちに捕った昆虫を逃がしてやる寛容性も、育ってくるもんなんじゃよ。
 ディズニーランドで、何時間も列に並んでおって、同じ事を毎日毎日やっているアトラクションを見ておって、創造性、自主性、感受性が養われるかね。そのうち飽きるだろう。
由香
 そうでしょうか。世界中からディズニーランドへと、やってくるんですよ。

 最近は、青少年の悲惨な犯罪が多発している。家の中に閉じこもって、ゲームに夢中になり、学校にも行かない子がたくさんいるという。
由香
 だから、ディズニーランドへ連れていってやれば、いいんじゃないんですか。

 それじゃ、金がかかって仕方がない。交通費も入場料も、たいへんな金額になるよ。自然を相手に遊ぶ方が、安価で豊かな情操教育ができるんじゃよ。わしは毎年夏になると、蝶やトンボのいる公園に行くんだが、親子で昆虫を捕っている姿をほとんど見かけない。
由香
 親世代自体が、環境破壊で昆虫が激減した時代に子供時代を送っているんで、捕り方を知らないんでしょうね。かえって、爺さん世代の方が、昆虫捕りは上手なんじゃないですか。

 わしらの世代の子供の頃は、夏休みになると、朝から晩まで網を持って、神社の森やお寺でセミ、トンボ、玉虫、チョウチョ、ヤンマをつかまえておった。何しろ、宿題が昆虫採集だから、蝶やトンボはパラフィン紙に包んで丁寧に持ちかえったものだよ。秋になると、空が黒く見えるほどトンボが飛んでおった時代なんじゃからな。
由香
 だから、爺さん世代が孫に昆虫捕りを教えてあげた方が、いいと思いますよ。
 ところで、爺さんがお勧めの、習志野市内の情操教育スポットはどこですか。
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2006年10月16日

津田沼の東漸寺21

由香
 爺さんは、浦安のディズニーランドへ行ったことがないんですか。

 ない。行きたいとも思わん。
由香
 どうして行きたくないんですか。

 昔から言うじゃろう。難波っ子は、通天閣にのぼらない。江戸っ子も、東京タワーにはのぼらない。地元の人間は、地元の名所には行かんのじゃよ。行くのはおのぼりさんじゃよ。
 それは冗談として、あそこに、メダカやザリガニやドジョウのいる小川があるか。虫取り網を持って、蝶やトンボを追いかける原っぱがあるか。ミンミンゼミやアブラゼミを採れる木があるか。
由香
 あるわけないでしょう。虫取り網を持って入る人なんていませんよ。

 そんなところで、子供を遊ばせるもんじゃあないよ。子供は自然に接しさせてやらないといかんのじゃ。小学校3年生になっても、セミやバッタ、蝶やザリガニを自分の手で捕ったり、持ったりできないようでは、情操教育上問題があるよ。
由香
 たまにはいいじゃないですか。ディズニーランドは楽しいところですよ。

 ディズニーランドは、楽しいアトラクションをお金を出して、与えてもらうところなんじゃ。自分で、楽しいこと、面白い遊び、を考えて行動するところじゃあない。行列に並んで、楽しみを与えてくれるの待っているだけなんじゃ。
由香
 自然は面白くないから、みんなディズニーランドへ行くんじゃないんですか。

 自然ほど、面白くて楽しいものはないよ。情操教育とは、子供の自主性、創造性、感受性、自己表現力、積極性を高める教育だが、並んで待っているだけのディズニーランドでは、情操教育にはならんよ。同じ事を繰り返しやっているだけだから、そのうち飽きるだろう。
由香
 虫取り網が、情操教育にいいんですか。
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2006年10月15日

津田沼の東漸寺20


 柱の根継ぎをする場合、継ぎ方にはいくつかの方法がある。ここでは名前だけいうと、一般的には、金輪継ぎ、腰掛け大栓継ぎ、十字型目違い継ぎが用いられる。
由香
 名前だけでは、どんな継ぎ方なのか全くわかりませんね。

 知りたい人は、自分で調べてくれ。
由香
 東漸寺の向拝柱の継ぎ方は、なんて言うんですか。

 さっきも言ったが、四方鎌という。正式な名前があるのかも知らんが、地元の大工さんやとび職さんが言っていた呼び名なんじゃよ。これは不可能継ぎともいわれている。
由香
 不可能って、何が不可能なんですか。

 四面すべて鎌首の形をしているので、四面が ↑ になって入っておる。そうすると、まっすぐ上に入れることは不可能じゃ。だから、どうやって入れたのかが、わからないから、江戸時代から不可能継ぎといわれている。
由香
 でも、こうやって四面とも ↑ になって、ここに現に入っているんだから、可能なんでしょう。

 しかし、今の大工さんやとび職さんでは、どうやって入れるのか想像がつかないそうじゃよ。江戸時代以降、宗教的な建物には、こういう不思議な継ぎ方を、わざとするようなんじゃよ。
由香
 しかし、爺さんのことだから、地元の大工さんやとび職さんが知らないことでも、知っているんでしょう。種明かししてくださいよ。どうやって、四方鎌は差し込むんですか。

 わしにこの四方鎌の存在を教えてくれた、地元の人々に、答えを教えたんじゃあ夢がなくなる。
 まず、市民の皆さんが、江戸時代から不可能継ぎといわれる四方鎌の現物が、東漸寺にあることを知ってほしい。次に、見てほしい。木工の継ぎ手のサンプルとしてもあまり見られないのに、本物はめったなことでは見られない。年季の入った四方鎌は、全国でも数カ所しか見られんじゃろう。昔の大工のわざが、ここで見られるんだからな。
 そのあとで、どうすれば差し込めるか、考えてほしい。パズルだと思ってほしい。答えを見てしまったんでは、パズルは面白くないよ。
由香
 もと三橋権四郎家の車寄せには、柱の付け根にまで歴史があるとは思いませんでした。

 さあこれで、東漸寺の本堂の前を離れよう。長い話になってしまったなあ。墓地の方へ行ってみようか。墓地は子供の遊びと教育に良い場所じゃな。
由香
 何を言っているんですか。最近はみんなディズニーランドへ行くんですよ。

 そんなところは行ったことがないよ。

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2006年10月14日

津田沼の東漸寺19(四方鎌)


 本堂に向って、右側の向拝柱に秘密がある。
由香
 柱の色が黒いので、よくわかりませんが、ただの細い柱じゃないですか。

 根元を見てくれ。
由香
 石の上に、柱が立っているだけで、何の変哲もありませんよ。

 それがあるんだよ。よく見なさいよ。
由香
 何もありませんよ。

 根継ぎ(ねつぎ)がしてあるだろう。
由香
 根継ぎって何ですか。

 柱は木だから腐る。腐った部分だけを切り取って、別の材木を継ぎ足すこと、これが根継ぎだ。
由香
 黒い色なのでよく見えませんが、そう言われると、柱の下のほう、50センチ程度が継ぎ足されているように見えますね。継ぎ目が、変な格好してますよ。

 鎌首が差し込まれたように見えるだろう。
由香
 継ぎ足し部分が抜けないように、鎌首形をしたものが、下から上に差し込まれたように見えますね。柱の四面とも、鎌首形の差込になっていますね。

 四方鎌といわれる珍しい継ぎ手じゃ。
由香
 どこが珍しいんですか。
 


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2006年10月12日

津田沼の東漸寺18(三橋家の車寄せ)


 明治34年(1901)から2年間、騎兵第2旅団の旅団長だった、閑院の宮載仁親王殿下が、三橋権四郎家を宿舎にされていたんだ。
由香
 2年間も個人の自宅を宿舎に使われていたんですか。それじゃ、車寄せを造るのも無理ありませんね。三橋権四郎家は、車寄せをつくれるほど広かったんですか。

 敷地は600坪あったといわれている。
由香
 うわー、すごい広さですね。殿下とその身の回りの世話をする人、さらに警護の人が住んで、その上ご本人たちも住むんでしょうから、このくらいの広さがないと無理だったでしょうね。2年間はたいへんだったでしょうね。なにしろ当時の皇族は、神様のような存在だったんでしょうからね。

 天皇陛下は現人神(あらひとがみ)といわれた時代だからね。
 神様のために車寄せを造ったんだから、神様がいなくなると必要なくなるね。
由香
 そこでこの東漸寺へ移築したということですね。この東漸寺の向拝は、軍隊、皇族、地元の人々の汗と涙の歴史、それらが交じり合ったモニュメント(記念建造物)なんですね。地元の大工の技術の結晶でもあるんでしょう。どうしてここにそういう説明板がないんですか。すばらしい話じゃないですか。地元の、宝の一つじゃないですか。習志野市民みんなが、この向拝を見学に来るべきお話じゃあないですか。

 本堂のさい銭箱の上の、雨よけのひさし程度にしか思っていない人が、ほとんどの時代になってしまっている。この話を知っている人も、少なくなっただろう。ぜひ、説明板を設置してほしいね。観光に使ってもいいんじゃあなかろうか。
由香
 ところで、その敷地600坪の三橋権四郎家は、今もあるんですか。

 残念なことに、6年くらい前だったかなー。ここから100メートルほどしか離れていない、すぐ近くにあったんだが、雰囲気のある門、そのうしろに白壁の蔵が見えていて、感じのいいお宅だったが、すべて取り壊されてしまったよ。あっという間に消えてしまったんだ。今では、宅地開発されて、20棟くらいの一戸建てが建っているね。当時をしのばせるものは、なにもないよ。ほんの数年前まであったのに。写真を撮っておけばよかったと、後悔しているよ。
由香
 爺さんにしては、ミスですね。結局、この向拝だけが、歴史の証人として残ったというわけですね。

 東漸寺の向拝は、三橋権四郎家の車寄せだったという歴史を忘れないでくれよ。
由香
 さてさてこれで、やっと本堂のさい銭箱から離れられそうですね。2週間もここで話していますよ。次はどこへ行きましょうか。

 まだあるんだよ。
由香
 えー、まだあるんですか。ここのどこにあるんですか。

 この柱だよ。向拝柱にもいうべきことがあるんだよ。
由香
 何の変哲もない、ただの柱じゃないですか。
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2006年10月11日

津田沼の東漸寺17(渡辺東淵)


 三橋権四郎家は、渡辺東淵の雑録によると、天保時代に火災があり、そのあと建てられた家らしい。
由香
 またまた、話がそれて恐縮ですが、渡辺東淵の雑録って何ですか。

 渡辺東淵(わたなべとうえん)は鷺沼に居住していた、江戸時代末期の医者だった。この人が、文政年間というから、1820年代から30年以上にわたって、近隣の事件、事故、犯罪、火事の焼失状況、病気、疫病、地震台風の被害状況、異常気象、農作物の作柄、などなど、医者という当時最高の科学者の目で、記録していたんだ。
由香
 どこで読めますか。

 習志野市史資料編に出ているから、そこで読めるよ。
由香
 詳しい記録ですか。

 科学者としての目で記録しているので、貴重な記録だね。地元のこの時代の記録は、ほかにはほとんど存在していないので、市の指定文化財になってもおかしくない記録だね。全国的にも珍しいんじゃなかろうか。
由香
 何か珍しいことが書いてありますか。

 鯨が鷺沼に流れ着いたときに、多くの人が見物にやってきた記録は面白いよ。読んでみるといいね。巨大な生き物を初めて見た驚きが伝わってくるよ。
 ハレー彗星を絵入で記録しているのも面白いね。
由香
 その雑録に、三橋権四郎家の火災の記録があったんですね。

 天保時代、つまり1840年代に火災があったので、皇族が宿舎にされていた建物は、1850年前後に建てられた建物だったと推定できるね。
由香
 江戸末期の建物に、それも身分制の厳しい時代に、庶民の自宅に車寄せは考えられないので、皇族が宿泊するということで、急きょ製作されたんでしょうね。
 今度は、いつどのような皇族が宿泊されたんでしょうか。
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2006年10月10日

津田沼の東漸寺16(屋号)

由香
 皇族の宿舎になった話は、赤別荘の内田別邸、町長と市長の二人を輩出した吉野家に続き、3番目ですね。今度は、どういう事情ですか。

 習志野市が発行している本で、個人の姓を解説しているのは、織戸、市角、村山、そして三橋だ。三橋(みつはし)は、屋号を三河屋というように、三河から徳川家康をしたって、この地に移住してきたといわれている。三橋家の墓地には、寛文3年(1663)の年号が入った墓石があるといわれているので、江戸初期から、津田沼で続く名前であることはまちがいない。
由香
 確かに、津田沼には三橋姓は多いですね。

 昭和56年に、習志野商工会青年部が屋号の調査をしたら、津田沼6丁目の住人の半分近くが、三橋姓だったというから、いかに多い姓であるかがよくわかるね。
由香
 屋号って何ですか。

 同じ姓では区別がつかないんで、名前、職業や家のある場所、そのほかありとあらゆることで、区別をつけて呼んだのが屋号だ。地元の屋号をいくつか紹介しようか。
 「だんごや」、「いしゃどん」、「ヤド」、「角屋」、「かまや」、「棒屋」、「新家」、「田っ端」、「池っ端」、「かめや」、「かどうし」、「カッパ」、「ばくろう」、「とんや」、「豊い」、「かみい」、「おんばい」・・・。
由香
 だんだん意味不明の言葉になっていきますね。当時の人は、これで区別がついたんですね。
 それにしても、これだけ同姓が多いと、郵便配達もたいへんでしょうね。

 誤配が多いので、郵便局に文句を言った人がいると聞いたことがある。
由香
 6丁目の半分が同姓だったら、間違えるのもやむを得ませんよ。

 それでも、間違えて入れられた方は迷惑だろう。近所の同姓の人の郵便受けに、入れに行ってやらなきゃなんないからな。
由香
 確かに、同姓でも名前は違うんでしょうから、きっちり番地や号を確認すれば誤配しないはずですよね。三橋に限らず、習志野市内は同姓がたいへんに多いので、それを間違いなく配るのがプロですよね。誤配して、言い訳できることではないですよね。
 それで、三橋権四郎家の車寄せの話はどうなりましたか。
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2006年10月09日

津田沼の東漸寺15(向拝)

由香
 いまここは、東漸寺の本堂のお参りをするところにいるんですよ。さい銭箱の上を見るんですか。
 この頭の上というと、屋根の話ですか。

 上にあるのは、ごはいとか、こうはいと言われるものだよ。漢字では向拝と書く。
由香
 建物正面階段上に、拝みやすいように取りつけた、カーブのついた屋根のことですね。雨よけですか。

 こういう丸いカーブを唐破風(からはふ)という、逆に反って見える破風を千鳥破風という。唐破風は、ゆったりと重厚な雰囲気を生み出しているね。真ん中には、魔よけのおまじないのような彫刻がかけられている。懸魚(けぎょ)という。
由香
 何のおまじないですか。

 懸魚という字を見ればわかるように、魚をかけてあるんじゃ。魚といえば水。つまり火難除けのおまじないじゃよ。
由香
 でも、この懸魚は鶴が彫刻してあるように見えますよ。その下には亀の彫刻がありますから、鶴亀になっているんですよ。

 最初は意味のあった飾りも、時代が変わるとただの縁起かつぎのツルカメに変わってしまったじゃろうか。それにしてもお寺の正面にツルカメはおかしいと思わんか。
 実は、この向拝は、もともとここにあったものではないんだよ。
由香
 どこにあったんですか。

 向拝として使われる前は、菊田小学校の玄関として使われ、その前は三橋権四郎家の車寄せだったんだ。
由香
 菊田小学校というのは聞いたことがありませんね。

 津田沼小学校ができる前は、この東漸寺に小学校があった。昔はお寺を小学校にしたものなんだよ。江戸時代は寺子屋といったくらいだから、寺は学校にしやすかったんだね。
由香
 この東漸寺にあった、明治期の学校が菊田小学校なんですね。津田沼小学校の前身というわけですね。

 津田沼小学校が新築されたことで、この玄関は必要なくなったが、向拝にして、本堂にくっつけたんだね。
由香
 その前の、三橋権四郎家の車寄せというのは、何ですか。個人の家に車寄せがあるなんて、明治時代には考えられないことなんじゃないんですか。

 皇族のために造られたんじゃ。
由香
 またまた、皇族が登場しましたね。こんなにいろいろな皇族が登場する地域も、珍しいんじゃないですか。

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2006年10月08日

津田沼の東漸寺14(切腹部屋)


 切腹部屋というのは、四畳半なんだ。
由香
 えっ、こわい。私の部屋も四畳半・・。

 昔は、畳の上で切腹できるのは、たいへん名誉なことだった。浅野内匠頭でさえ、畳の上では切腹させてもらえなかった。
由香
 あの人は、赤穂藩の藩主でしょう。それでもだめなんですか。

 一応、犯罪人として切腹させられたからじゃよ。
由香
 それで、切腹部屋は、どういう風に畳を敷くんですか。四畳半は、真ん中に半畳のたたみを敷くと、あとは簡単ですね。あとの4枚をまわりに敷けば、正方形になりますね。

 起きて半畳、寝て一畳。畳一枚あれば生活できるんじゃ。ぜいたく言うでないぞ。
由香
 早く教えてくださいよ。

 江戸時代は、武士以外は板の間に寝ていたんじゃ。畳があるだけでも幸せだと、思わないといかんぞ。値段の高い布団を、ローンで買うでないぞ。せんべい布団が、一番体にいいんじゃよ。
由香
 じらさないでください。半畳のまわりの4枚の畳の向きが、問題なんでしょう。

 人生うまく行っているときは右回り、左回りになると、もうあかんぞな。
由香
 ようするに、4枚の畳が右回りに見えれば、普通の敷き方。左回りに見えると、切腹部屋と言いたいんですね。

 真ん中の半畳の、左のふちの線上に上の(向こうの)畳のふちが来るように敷いてあると、右回りに見えるはずじゃ。この反対に、右のふちの線上に、上の畳のふちが来ると、4枚の畳は左回りに見えるじゃろう。これが切腹部屋じゃ。
由香
 四畳半の部屋は、半畳のたたみを真ん中じゃなく、隅にもってくることが多いのは、まちがえて切腹部屋にしないためなんでしょうね。

 最近の建築士は、切腹部屋の知識のない人がいて、建物が完成し、ご主人が内部を見に来たら、切腹部屋になっていたという、笑えない話がある。
由香
 新築時からそれじゃあ、縁起が悪いですね。
爺 
 ただし、茶室では、作法の関係で切腹部屋の敷き方をすることも多いが、これは例外じゃ。
由香
 話が次々と広がって行きますね。東漸寺の本堂のさい銭箱の前から、なかなか離れられませんね。

 それじゃ、ついでにさい銭箱の上を見てもらおうか。
由香
 上に何があるんですか。


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2006年10月07日

津田沼の東漸寺13(廣瀬家)

由香
 廣瀬家の主屋が、江戸末期の古民家であることを証する、建築的特徴とは、どんなものですか。

 房総半島の古民家は、部屋が独特の配置になっている。カギザシキといわれるもので、部屋がL字型に配置されるんだ。廣瀬家の部屋の配置はそうなっている。
由香
 柱や梁はどうですか。

 1728年(江戸中期)に建築された、実籾本郷公園に移築保存されている、旧鴇田家は、柱や梁が細い材木で造られている。これが、江戸後期になると、柱の1本に太い大黒柱が登場し、梁も、指鴨居(さしがもい)という、野太い材木を使うようになる。廣瀬家はそうなっている。
由香
 床に特徴はありますか。

 江戸時代は、武士以外の家では、広間(座敷)に畳を敷くことは許されなかった。板の間しか許されなかった。だから、明治時代になって、畳を敷くことが許されるようになっても、江戸時代の家の広間は、畳を敷くために造られていないので、すきまがあく。
由香
 8畳の間とか10畳の間というように、畳を敷く部屋として造られていないので、畳を入れても、かなりすきまがあいてしまうということですね。

 廣瀬家の広間は、現在畳が入っているが、25センチの幅で隙間があくので、板を入れてある。このことだけでも、江戸時代の部屋であることが歴然としているよ。
 畳の敷き方も、普通の家は祝儀敷き(しゅうぎじき)という敷き方をするが、廣瀬家は大広間敷き、あるいは不祝儀敷きという、一般の家ではしない特殊な敷き方をしている。個人の家では、今では畳職人でさえ、めったに見ることがない敷き方になっているんだ。
由香
 畳の敷き方にも、いろいろあるなんて、初めて聞きました。

 いろいろあるよ。祝儀敷き、回し敷き、不祝儀敷き、縁敷き、大広間敷き、切腹部屋の敷き方まであったんだよ。
由香
 こわい敷き方まであるんですね。
 壁に特徴はありますか。

 押板(おしいた)があるよ。押板は、床の間の原型といわれている。壁の一部を20センチほど引っ込めて、そこに板を張ったものだよ。江戸時代は、この板に神札を貼って、花を生けたんだ。廣瀬家は、床の間の原型の押板が、今も残る家なんだよ。
由香
 そのほかに、特徴はありますか。

 江戸時代の建物は、今のような土台の上に柱を立てることをしていなかった。地面に石を置いて、石の上に柱を立てたんだ。これを、石場建てというが、廣瀬家の主屋は、石場建ての家なんだ。京都や奈良のお寺も、石の礎石の上に柱が立っているだろう。そういう時代が長かったんだよ。
 囲炉裏もあるよ。
由香
 えーっ、今でも囲炉裏のある家が、津田沼にあるんですか。

 広間の畳の下になっているんで、普段は見えないが、畳替えのときには姿をあらわすよ。そのときだけ、地面から床面まで石を組み上げて造ってある、本物の囲炉裏を見られるんじゃよ。
 そのほか、江戸時代は武士以外は、長押(なげし)をつけることを禁じられていた。鴨居の上についている細長い板材のことじゃよ。廣瀬家の客間には長押がついていない。このほかにも小さな特徴があるが、このへんでいいだろう。
由香
 廣瀬家の主屋が、江戸時代の建物であることは、十分にわかったような気がします。
 ところで、さっき言われた、切腹部屋の畳の敷き方って、どのように敷くんですか。

 知りたいか。
由香
 知りたいです。

 怖いぞ。
由香
 大丈夫です。

 由香ちゃんは、何畳の部屋にいる。
由香
 四畳半です。

 それはあぶないぞ。
由香
 えっ。
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2006年10月06日

津田沼の東漸寺12(廣瀬家)

由香
 廣瀬家というのは、平成15年7月に、国の登録有形文化財建造物になった家ですよね。

 廣瀬家では4棟の建物が、登録文化財になっている。主屋は、約200年前の江戸末期の建物。甘藷蔵は1891年の建築だから、築115年だ。甘藷倉庫は、1909年の建築だから、築97年だ。井戸上屋は昭和10年の建築なので、築71年だ。
由香
 ということは、4棟で合計、築約483年ですか。すごいですね。

 単純に合計して、意味があるのかね。
由香
 以前に、甘藷蔵と甘藷倉庫の話は聞いていますね。主屋の屋根裏はまだ未調査ということですが、どうして、約200年前の江戸末期の建物であることが、わかるんですか。

 棟札などの、建築年代の判定できる証拠の見つかっていない建物は、一つは家族の伝承から判定し、もう一つは建物の、時代による特徴から判定するんだ。
由香
 廣瀬家の家族の伝承とは、どのようなものだったんですか。

 以前にも話したと思うが、廣瀬家の主屋は、ご先祖で大工であった廣瀬弥兵衛が、自身で建てた自宅と伝承されているんだ。
由香
 たしか、中山法華経寺の初代仁王門を建てた大工、と伝承されているんですよね。それが何年でしたっけ。

 初代仁王門は文化10年、1813年に落成しているんだ。だから、自宅もその前後に自分で建てたんではないかと考えられるから、約200年前ということになる。ただし、この仁王門は戊辰戦争で焼失しているんで、現在建っている仁王門ではない。それと、廣瀬弥兵衛が建てた仁王門は、江戸名所図会に描かれていることは、以前に話したよね。
由香
 江戸名所図会と習志野市との、唯一の接点ですね。
 ほかに、伝承はないんですか。

 伝承ではないが、墓石がある。東漸寺には明治以前の過去帳がないので、墓石から廣瀬弥兵衛の生没年を推定したんだ。
由香
 その結果はどうだったんですか。

 墓石と市史の資料編に出ている記録から、廣瀬弥兵衛の生年は1782年で、没したのは1840年であると推定された。
由香
 そうすると、仁王門を完成させたときは、廣瀬弥兵衛が満31歳ということになりますね。10歳くらいから奉公に出る、当時の大工職人としては、油が乗った年齢ですね。

 そういう理由からも、文化10年の前後に自宅を建築したと推定できるんだ。
由香
 建築の特徴というのは、どういう点ですか。

 これはたくさんあるんだ。

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2006年10月05日

津田沼の東漸寺11

由香
 いま、東漸寺にいますが、ここのどこが未調査なんですか。

 東漸寺の、この本堂の建築年代がわかっていないんじゃ。
由香
 東漸寺は、何度も火災に遭っていると、よく書かれていますね。過去帳も明治時代と、それ以前のものはないと聞いていますよ。

 ということは、最後の火災は大正時代にあったということになると、想像されるな。
由香
 何か、大正時代に火災があったという記録がありますか。

 わしが調べた範囲では、大正2年の6月頃に30軒が焼けたという、個人の日記を発見している。この日記では、市内のどこが焼けたかは、書かれていないので不明だ。しかし、市史資料編に出ている久々田町会文書の、大正3年1月に、「 東漸寺本堂大破に及びその修繕に要する金千円也 」という記録がある。ひょっとしたら、このときの火災で被害を受けた、復旧の予算じゃったのかもしれん。
由香
 たった、千円で本堂が建ちますか。

 今とは貨幣価値が全く違うよ。ならしの風土記という本に、明治34年に建築された、二つの教室と職員室からなる大久保小学校の建築費が、1、499円58銭7厘と書かれている。それから、14年後の千円なら、本堂だけなら十分建つんじゃなかろうか。明治44年完成の、津田沼町役場の新築費用でも、1、928円じゃ。
 そんな理由で、わしは東漸寺の本堂の建築年代を、大正3年か4年と考えておるんじゃ。
由香
 大正時代のことなら、そんなに古い話じゃないんですから、知っているお年寄りがいるんじゃないんでしょうか。

 わしもそう思って、地元で三代にわたり、とび職をやっている人や、二代大工をやっている人に聞いたが、誰も知らんのじゃ。不思議じゃなー。
由香
 何か、確定する方法はないんでしょうか。

 やはり、屋根裏を見ることじゃろうな。寺社ならたいてい棟札があると思うよ。それで決まると思うが、神聖な建物の屋根裏は、なかなか入れないから、当分確定はできないね。確定できれば、すぐに国の登録文化財にはなるよ。
由香
 誰が建築したんでしょう。

 このまえ話した、地元で7代続いた都築工務店だといわれている。
 都築工務店は、今では工務店をやっていないので、市の文化財担当者が、かっての都築工務店の関係者と連絡をとって、東漸寺や瀬山邸、その他の関係資料がないか、ぜひ調査してほしいものじゃね。もし残っていれば、貴重な資料になると思うよ。
由香
 郷土資料館があれば、すぐに動く話でしょうに。残念ですね。
 それでは、次に廣瀬家の屋根裏について、説明していただきましょうか。

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2006年10月04日

津田沼の東漸寺10(千葉市)


 千葉市は、今では政令指定都市として人口90万人の大都市で、面積も習志野市の13倍もある。これだけの大都市ならば、昔から開発されて、遺跡が破壊されていることが多いんじゃが、千葉市は明治になるまでは本当に、寒村だった。
由香
 東京からも近いので、江戸時代は栄えたんじゃないんですか。

 江戸時代、今の千葉県で一番栄えて、人口が多かったのは銚子だった。千葉市は徳川幕府からは嫌われておったから、発展しなかった。そのおかげで、遺跡も破壊されず、現在でも次々と国の史跡に指定されておるんじゃ。
由香
 銚子はかなり遠いですが、銚子の次に栄えていたのはどこですか。

 佐倉じゃ。関東地方では、徳川幕府の街道警備で重要地点とされていたのが、佐倉、川越、小田原だったからじゃ。
由香
 どうして、現在の千葉市という場所が徳川幕府から嫌われたんですか。

 房総の名門千葉氏を滅ぼしたのは、豊臣秀吉の命を受けた徳川家康じゃろうが。千葉氏は、源頼朝が鎌倉幕府樹立の最大の功労者として、地元はもちろん、東北地方や九州にも広い領地が与えられていた。鎌倉時代から、関東を代表する豪族として栄え、家康に滅ぼされるまで、400年間も続いたんじゃ。
由香
 それだけの名家を徹底的に滅亡させたんだから、仕返しが怖くて、260年間寒村のままにされたんですね。

 徳川幕府は、このあたりに豪族が登場することを最も恐れていた。千葉氏復興を恐れていた。だから、このへんは、土地を短冊のように細長く線引きされて、たくさんの旗本、つまり武士の管理地にされていた。習志野市内も、こんなに面積が狭いのに、江戸時代はさらに三つに分割されていたんじゃ。盗賊が栄える原因ともいわれた。
由香
 管理人が多いことと、盗賊が栄えることと、どういう関係があるんですか。

 現在でも、千葉県で犯罪を犯して、茨城県へ逃げれば、県警の連絡が悪いと、逃げやすいじゃろうが。警察は、県単位で組織されている。千葉は千葉県警、茨城は茨城県警が管轄じゃ。茨城へ逃げられると、千葉の警官は勝手には追いかけていけんじゃろう。茨城と連絡をとらなきゃならんよ。
由香
 習志野市や千葉市は、江戸時代は短冊のように細かく線引きされていたんで、盗賊が隣の地域に逃げ込むと、別の武士の管理地へ逃げることになり、たやすく逃げられたということですね。

 電話もメールもない時代じゃからな。それに管理人の武士は、すべて不在地主みたいなもので、年貢はもらうが、現地にはほとんど顔を見せない存在だったからね。
由香
 ようするに千葉市は、江戸時代を通じ、ずっと寒村で、都市として発展しなかったから、遺跡も破壊されず、残ったといいたいんですね。

 そういうことじゃ。つぎは東漸寺の未調査の件じゃな。
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2006年10月03日

津田沼の東漸寺9(藤崎堀込貝塚)

由香
 藤崎堀込貝塚も未発掘なんですか。

 今までに、2度くらい、ごく一部の発掘が行われている。その結果、旧石器時代の石器から縄文時代の土器まで発見されたので、県の史跡に指定されている。将来、大規模に発掘されて、もっと珍しいものが出てくれば、国の史跡に格上げされることも、十分に期待できる。
由香
 どうして、今やらないんですか。

 千葉県は日本一貝塚が多いんで、順番に発掘しても、かなり先になってしまうこと、指定地域内に、民間人の所有地がかなり多いんで、できれば所有権を取得してから発掘したいという希望があるからだろう。
由香
 でも、先日、藤崎堀込貝塚の隣にある森林公園に行きましたが、宅地開発が貝塚のすぐ近くまで及んでいました。早く、開発を阻止する条例でも作ったほうがいいんではないでしょうか。

 それは、市会議員の方々にお任せしよう。
 最近、市は谷津地区のあちこちで畑を発掘している、現在も谷津図書館の周辺を、一生懸命発掘している。
由香
 藤崎堀込貝塚をやらないで、どうして違う場所を掘っているんですか。

 たぶん、わしの勝手な考えじゃが、藤崎堀込貝塚は県の指定史跡になっており、遠い将来必ず発掘できる状況にある。それよりも、未発掘の場所を、たくさん発掘して、指定文化財にできるような遺物を見つけ、早く指定して、開発から守れる土地を増やしたいという考えじゃなかろうか。
由香
 そういう考えなら、しかたないですね。貝塚で指定文化財になっているのは、藤崎堀込貝塚一つしかないんでは、さびしいですよね。市内30ヶ所以上で土器が発見されていても、指定史跡になるほどの土器じゃないということなんでしょうね。

 JR津田沼駅南西側、つまり、第一中学校の南側の谷津地区には、広大な畑が残っている。市ではここを、大規模に開発する計画が進んでいる。しかし、ここは谷津貝塚といわれ、大規模な貝塚があることが、以前から指摘されている。
由香
 そこで、早く重要な土器や石器を発見して、少しでも広い面積を指定史跡にして、開発から守りたいわけですね。この春に市の広報で、発掘作業員の募集があったのも、そういう事情があったからなんですね。

 ここ最近でも、5、6箇所発掘している。早く、お宝を掘り当ててほしいもんじゃな。
由香
 発掘情報は、どこで聞けるんでしょうか。

 谷津南小学校の敷地の一部にプレハブが建っており、発掘品を運び込んでおる。そこに行けば、発掘情報を教えてくれるよ。市役所に電話して、聞いてごらん。
由香
 発掘担当の皆さんが、すごいものを掘り出していただけるように、期待しております。がんばってください。

 お隣の千葉市は、国指定の史跡がたくさんある。習志野市もがんばってほしいもんじゃね。
由香
 どうして千葉市には多いんですか。なにかわけがあるんですか。

 わけがあるんじゃよ。

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2006年10月02日

津田沼の東漸寺8(鷺沼古墳)

由香
 鷺沼古墳、藤崎堀込貝塚、東漸寺、廣瀬家の主屋の屋根裏が未調査だそうですが、それぞれのお話をお聞きしましょうか。

 鷺沼古墳は、習志野市民の方なら、皆さんご存知でしょう。小さい、小さい古墳ですね。
由香
 以前、関西で、前方後円墳を見たことがありますが、壮大な大きさですね。それと比べると、鷺沼古墳は、これが古墳ですかといいたくなるほど、小さいですね。土をちょっと盛り上げた程度という感じですね。

 古代は関西が文化の中心だった、ここらあたりは、オーバーに言えば、地の果てのようなところだった。それでも、6世紀後期に、すでに古墳を造る文化が伝わっていたことを喜ぶべきでしょう。
 鷺沼古墳は、実は2つある。すでに発掘されて、石棺が見える方は、B号墳といわれ、お社のある方、左側の方がA号墳だ。そして、A号墳は全長25mの前方後円墳といわれているが、未発掘なんだ。
由香
 どう見ても、前方後円墳には見えませんが、どうして発掘しないんですか。

 将来に楽しみが残っていいんじゃないの。高松塚やキトラ古墳のようにきれいな絵が、発掘によってみじめな姿になっても困るし・・・。
由香
 絵が書いてあるんですか。

 全く不明で、わからない。

 

posted by 絢 at 06:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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