2007年06月24日

国道14号45

由香
 墓地の改修は、爺さんのお気に召しませんか。

 きれいにするだけならいいが、たいていは、無縁になってしまった墓石を廃棄してしまう。無縁でない墓石も廃棄されて、新しいものにとりかえられることもある。
 実籾の無量寺は、ほとんどの墓石がなくなって、原っぱのようになってしまっておる。大久保の薬師寺の墓地もなくなってしまった。実になげかわしいことじゃ。
由香
 古い墓石は新しいものに替えた方がいいんじゃないんですか。

 とんでもない。昔の一般庶民は貧乏で、高価な紙に記録を残すということができなかった。唯一、墓石に亡くなった日や戒名を刻んで、記録に残したんじゃ。
由香
 その程度の記録で役に立ちますか。日付と戒名で何がわかるんですか。

 習志野市内のお寺は、ほとんどが古い過去帳を保存していない。これは過去に何度も火災にあっているからじゃ。たとえば久々田の東漸寺も、明治以前の過去帳が残っていない。
由香
 そうなると墓石に刻まれた日付が、ご先祖の亡くなられた日付がわかる唯一の手がかりだということですね。

 そういう家が多いということじゃ。
由香
 戒名からは、何かわかることがあるんでしょうか。

 戒名こそ、いろいろなことを教えてくれる情報源じゃよ。
由香
 まさか、これから戒名の話をしようというんじゃないんでしょうね。誰も戒名に興味を持つ人なんていませんよ。

 日本人は亡くなるとどんな人でも死後に戒名が与えられる。いつか必ずお世話になるんじゃから、生きている間に知っといた方がいいんじゃよ。
 自分の戒名を自分で決めてから、亡くなる人もいる。
由香
 戒名のことなんて考えたこともありませんよ。聞きたくありません。と言っても、話し始めるのが爺さんの性格ですよね。

 よおわかっとるじゃないか。
posted by 絢 at 07:38| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月23日

国道14号44

由香
 爺さん、とうとう源吾衛門の楠の情報が入りましたよ。去年、保存樹木の指定の解除申請が出ていたようです。

 どうして市は土地ごと購入しなかったんだろうか。地元の文化と伝統を残すことにどうして、こんなにも不熱心なんだろう。あの土地は、公園にしないと危険なんじゃ。
由香
 どうして危険なんですか。

 君は元の地盤の形を知っているだろう。
由香
 すり鉢のように奥へ行くほど深い谷になっていましたね。そこに山砂を入れて平にしたようですね。

 考えて見なさい、すり鉢に砂を入れたらどうなるか。
由香
 何か問題ありますか。

 雨が降ったらどうなるかね。
由香
 地盤が締まるでしょうに。

 地盤が締まるとどうなる? 
 土の中の空気が出ていくから締まるんだろう。
由香
 地盤沈下ですか。

 あそこは一番奥の方は、4メートルから5メートルくらいの谷になっていたから、奥へ行くほど激しく地盤沈下する。
由香
 このあいだ見てきましたが、もうすでに周囲の道路より、奥の方に建てられている家は50センチくらい低くなっていましたよ。

 これからもっと沈下するじゃろう。
由香
 家が低くなるだけじゃないですか。

 それだけでも湿気が集まるから、家が腐りやすくなるよ。最近は集中豪雨が多くなっているから、床上浸水することもあるかもしれんよ。
由香
 あそこは市内でも最も高い方の高台になっていますから、そこで床上浸水が起こったんじゃ、笑い話ですよ。

 ひょっとしたら、笑い話ではすまない災害が起こるかもしれんよ。
由香
 そんなことより、市は、ここにかって習志野一の名木、名木中の名木といわれた源吾衛門の楠があったということを紹介する記念の何かを建立してほしいですね。写真入りで。

 それくらいやらんと、大木のたたりが、市に起こらんとも限らんぞ。
由香
 おどかさないでくださいよ。
 ところで、源吾衛門の楠の跡地を見に行ったときに気づいたんですが、お隣の西光寺の墓地も改修されていましたね。

 古い墓石が廃棄されてしまうんじゃなかろうかと、これも心配しておるんじゃよ。

posted by 絢 at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月20日

国道14号43


 鷺沼3丁目のT字路を、左折して本大久保の方へ行く道は、大型ダンプカーの通行が禁止されておるようじゃな。
由香
 千葉街道から東金街道へ抜ける道として便利だったからでしょうが、ダンプがぶっ飛ばすと危険な道ですよね。とくに、JRの線路を越えてからが危険ですね。

 このT字路を曲がらずに、まっすぐ進むと、すぐにビデオ店がある。
由香
 まだ営業しているんでしょうか。

 このビデオ店のすぐ先の水銀灯が曲がっておる。
由香
 歩道と車道の境に設置されている街灯ですね。45度まで行きませんが、30度以上は傾いていますね。どうして曲がったんですか。

 先週の土曜日、朝6時頃に、反対車線の、上り東京方面へ行く乗用車が、突っ込んだんだ。
由香
 どうして反対側の歩道の水銀灯をへし折ったんでしょう。

 居眠り運転じゃろう。20歳前後の若い男が運転しておった。反対車線の車と正面衝突しないだけ良かった。正面衝突しておったら大惨事になっておったろう。
由香
 地元の車でしたか。

 名古屋ナンバーの国産高級車じゃった。
由香
 千葉県は交通事故の死者が、いつも全国のトップクラスなんですが、県外の車の事故が多いんですよね。
 その若い男性は大丈夫だったんですか。

 車はオシャカになっておったが、運転者は、救急車も呼ばず、大丈夫じゃった。エアバッグのおかげで助かったようじゃ。
由香
 国産高級車ということで、頑丈だったんでしょう。ところで、どうして事故の状況をそんなに良く知っているんですか。

 わしが、早朝の散歩をしておったところ、ちょうど警察がやってきたところに行き当たったんじゃ。
由香
 どおりでよく知っているわけですね。


posted by 絢 at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月15日

国道14号42

由香
 県名の話から、どんどんそれていますが。

 千葉県の県庁所在地は何市かな。
由香
 千葉市に決まっているでしょう。県名と同じ名前の市が、県庁所在地じゃないんですか。

 じゃあ、お隣の茨城県の県庁所在地はどこかな。
由香
 茨城市でしょう。

 茨城市って存在するのかな。
由香
 あれ、茨城市って存在しなかったんでしたっけ。

 聞いたことないね。
由香
 そうか、茨城県の県庁所在地は、水戸市でしたよね。徳川御三家の一つ、水戸徳川家の地ですから、水戸県になってもおかしくなかったんではないんでしょうか。江戸時代も、水戸藩だったんでしょう。

 当然、水戸県にすべきだと、今の人は誰でも思うよね。でも、県名を決めたのは、いつの時代のことかな。
由香
 明治新政府が決めたんでしょう。明治時代に。

 明治新政府は、徳川が好きだったと思うかい。
由香
 新政府は、幕藩体制を崩壊させるために、戊辰戦争という戦争までして、徳川幕府を存続させようという人たちと戦ったんですから、徳川系は嫌いだったでしょうね。あっそうか。明治新政府は、幕府に味方した藩には、どれだけ大きな町でも、県の名前にはしてくれなかったということですか。幕府に味方した仙台藩は宮城県に、長岡藩は新潟県に、会津藩は福島県になりましたよね。宇都宮藩も、栃木県になりました。

 ところが、下総地方は徳川幕府から冷遇されていた地域じゃったから、明治新政府は、千葉という歴史上のビッグネームを復活させてくれたんじゃ、といわれておる。
由香
 たしかに、宮城市とか山梨市とか群馬市と言われても、ピンとこないところが多いですよね。新潟市も江戸時代は、小さな漁村だったといいますからね。

 国道14号から話がどんどんそれていっておるな。
由香
 鷺沼3丁目のT字路へ来ましたね。ここを左折してまっすぐ行くと本大久保から、京成大久保駅の方へ行きますね。

posted by 絢 at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月11日

国道14号41

由香
 旧サンペデックまえのアジサイを見てきました。なるほど、斜面全体がアジサイになっていて、きれいでした。ほかにおすすめはありませんか。

 昨日は実籾本郷公園に行ってきた。花菖蒲とアジサイが満開で、ここもすばらしい景色じゃった。
由香
 あそこは、子供がザリガニ取りができるんで、人気ですね。

 本当は教えたくなかったが、実籾本郷公園は、子供の情操教育には最高のところじゃよ。昨日はギンヤンマにシオカラトンボ、アゲハチョウも飛んでおった。
由香
 周囲は谷津田で囲まれ、ザリガニにメダカ、ドジョウ、アメンボウもたくさんいる小川がありますね。谷津田からは、ウシガエルの鳴声も聞こえますね。

 入場料はタダの、千葉県で2番目に古い巨大な古民家、旧鴇田(ときた)家も移築保存されている。近くに子供公園もあり、休みの日にはお弁当を広げる家族連れも多い。
由香
 緑豊かな環境で、家族が半日遊べて、タダ。虫取り網にザリガニ釣りの準備をして行けば、子供は、時間のたつのも忘れて遊んでいますね。

 駐車場が狭いので、たくさん人が来るようになってほしくないんじゃ。この話を聞いた人だけ、一度見に来てほしいのう。
posted by 絢 at 08:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月10日

国道14号40

由香
 ところで、またまた話を中断して恐縮ですが、ブログ開設1周年おめでとうございます。

 ありがとう。ここまで続くとは思わんかったよ。総投稿件数245件か。とても自分が書いたとは思えんな。
由香
 ゴーストライターがいたりして。
 そのうち、地域新聞社あたりから、連載の依頼が来るんじゃないんですか。冗談ですけど。

 地域新聞には、何度か読者欄に、投稿を掲載してもらったことがあるよ。たしか図書カードをくれるんで、たすかるよ。
由香
 1年間のアクセス記録をざっと見ると、去年の秋からは、1日100件を超えるアクセスの日が多くなりました。200件近い日もかなりありました。

 平均1日100件として、1年間で3万6千5百件のアクセスがあったことになろうか。
由香
 この数が、多いのか少ないのか、よくわかりませんが、久々田村、今の津田沼にこだわった話で、これだけアクセスがあったんですから感謝いたしましょう。

 最近は、話題も尽きてきて、かなり間隔が開くようになってしまったが、それでも毎日100件前後のアクセスがある。ありがたいことじゃ。
由香
 これで、爺さんがいつ天国へ旅立っても、津田沼の埋もれていた話が、伝わっていくことでしょう。

 まだまだ達者じゃよ。しかし、最近腰が痛いし、痴呆も進んでおる。
由香
 最近は、検索でヒットした件数がほとんどになってきましたね。

 つまり、このブログを楽しみに見ている人よりも、習志野市に関することを検索したら、このブログに行き当たったというのが過半になってきた。
由香
 それで毎日100件前後のヒットがあるんですから、爺さんとしては本望じゃないんですか。

 偶然ヒットした人に、ブログ全体や、ホームページまで見ていただければ、こんなありがたいことはない。
由香
 ところで、今年は空梅雨ですね。習志野市の市花、アジサイも元気がありませんね。

 アジサイで思い出した。前にも話したが、JR津田沼駅南口の旧ダイエー、サンペデック前の斜面のアジサイが満開じゃ。すぐに見に行った方がいいぞ。
由香
 今は、どこでもアジサイがきれいでしょう。

 ここは斜面になっているから、下から見上げると、アジサイの壁のように見える。平面に植えてあるアジサイよりずっときれいに見えるんじゃ。すぐに行った方がいいぞ。
由香
 あそこは通勤の人がたくさん通るんで、みんな見ているでしょうに。

 それが、みんなアジサイの咲く斜面の中央の道を通らず、外の細い道を通って行く。もったいないことじゃ。
由香
 そんなに言われるなら、見に行ってきます。
posted by 絢 at 08:20| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月07日

国道14号39

由香
 大正6年の大津波の話が入ってしまいましたが、千葉県が千葉県という名前になったのは、千葉氏が400年間栄えたという理由よりも、千葉氏が徳川家康によって滅ぼされたからだという話は、どうなりました。

 もちろん、千葉氏が源頼朝によって引き上げられ、400年も続いたからこそ、それだけのビッグネームだったからこそ、千葉県になったのじゃが、最大の理由は滅亡の原因にあるんじゃ。
由香
 徳川家康は、豊臣秀吉が鎌倉の北条氏を小田原の役で滅亡させたときに、秀吉の命を受けて、下総の千葉氏を滅亡させたんですよね。

 徳川家康は、400年も栄えた千葉氏を滅亡させたから、江戸時代を通じ、ずっと今の千葉市に当たる地域を繁栄させることはなかった。
由香
 ビッグネームの復活を恐れ、今の千葉市に当たる地域を260年間寒村のままにしておいたんですよね。

 江戸時代、この当たりの地域は、短冊のように細かく線引きされ、それぞれ違う武士に支配させていたのも、千葉氏の復活をおそれたからじゃ。
由香
 久々田と、お隣の谷津では、支配していた武士が違いましたよね。鷺沼、幕張・・・・と、地名が変わるたびに、領主が代わっていましたね。

 考えてみれば、千葉市に当たる地域が、江戸時代以前の状態のまま、保存されたので、千葉市には、国の史跡に指定されている貝塚がたくさん残っているという恩恵がある。
由香
 縄文時代の貝塚が、保存状態の良いまま残っているのは、千葉県が世界一でしょう。どうして世界遺産に立候補しないのかしら。
 それで、県名の話はどうなりました。
posted by 絢 at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月03日

国道14号38(大正6年の大津波)

(2017年 注 船橋西図書館はJR西船橋駅東側に移転しました。)
由香
 爺さん、こんなコメントが入りましたよ、「 先週 船橋市東中山の木造住宅耐震補強の現場監督に行った時、家主の85歳のおばあさんから、大正6年に大津波があって、近くまで浸水したとの話を聞きました。過去に東京湾では大津波は無かったと思っていましたが、、地震ではなく、台風が原因の津波と聞いて理解できました。 この様な過去の災害を知っている人は凄く少ないと思っていますが、上記情報はどこに行けば入手できるのでしょうか? 」
 何か、この方に教えてあげられることはありますか。

 おおそうか。大正6年の大津波のことか。それなら、船橋西図書館の、3階にある郷土資料室へ行きなされ。外階段からしか3階へは行けないから、気をつけてくれよ。
由香
 船橋西図書館て、どこにあるんですか。

 JR総武線、西船橋駅と京成西船駅との中間にある。どちらからでも、徒歩3分程度で、近いよ。
由香
 駐車場はあるんですか。

 駐車場は全くないから、電車でしか行けない。
由香
 周辺にコインパーキングはないんですか。

 車で行ったことがないんでよく知らんが、探せばあるじゃろう。しかし、電車の方が便利じゃよ。
由香
 それで、3階の郷土資料室で、どのように探せばいいんですか。

 ここの郷土資料室は千葉県で最も優秀じゃ。郷土資料室にいる館員に聞けば、すぐに探してくれる。
由香
 館員も知らないかもしれませんから、何か手がかりをお願いします。

 それならこのブログの平成18年、7月19日、8月9日、12月5日、平成19年、1月25日、2月20日に、分散して話しておるので、振りかえってみてほしい。それらを見てもらえれば、資料名が書かれているよ。
由香
 当時の新聞はどこで見られますか。

 県立千葉中央図書館で、マイクロフィルムが見られるよ。
由香
 このブログの左の、ブログ内検索に、「大正6年」と入れれば、上記の日付が出てきますね。

 大正6年の大津波に関心を持たれる方が、一人でも出てこられたことがうれしいね。習志野カルタにも出るべきものなんじゃが。
由香
 習志野カルタには、本当に重要な歴史の真実を伝えていないところがあるということですね。

 誰も知らないんだから仕方がないね。
posted by 絢 at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月02日

国道14号37


 鷺沼温泉を通過すると、その先には廣瀬石材店がある。ここも古くからある石材屋さんだね。
由香
 このあたりの国道の両側はほとんど民家ばかりで、商店は少ないですね。

 左手の民家の裏の方に入って行くと、慈眼寺と観音堂があり、今までに何度も話した、陣屋という屋号の鈴木家があった鷺沼中央墓苑がある。
由香
 つまりこのあたりが、800年以上前に、石橋山の戦いで房総半島へ逃げた源頼朝と、再集結した武将達がかっぽしていたところなんですね。

 再集結に遅れた有力武将もいた。
由香
 日時を指定して再集結したんなら、一人だけ遅れると、何か下心があるとかんぐられるんじゃないですか。一旦は、頼朝軍は敗走しているんですから。

 「いざ鎌倉」というときに遅れてきたんだから、つまり、鷺沼には来ず、今の市川市で合流したんじゃ、変に思われるよね。
由香
 信長を討った明智光秀のように思われるでしょうね。謀反のきざしありと。

 明智光秀は、ずっとあとの人だが、源頼朝は、鎌倉幕府を開いたあとで、鷺沼に来なかったその有力武将をほろぼしているよ。そして、鷺沼に集結し、最も忠実に頼朝を支えた千葉氏を栄えさせたんだ。
由香
 それからあと400年間も千葉氏が栄えたのは、このときに鷺沼に集結したからなんですね。

 ただ単に集結したからだけじゃない、大手柄を立てたからなんだが、このとき来ていなければ、大変なことになっていたよ。
由香
 鷺沼は、頼朝軍が、ただ集まっただけではなく、来たか来なかったかで、人生が大きく変動するターニングポイントだったんですね。学校で教えれば、地元の歴史の勉強と、人生論にまで発展する話ですね。

 ところが、こんな話を知っている人は市役所にも、地元にもほとんどいない。
由香
 だから、観光地どころか、説明板すら立たないんですね。

 ところで、当時は家も数えるほどしかなかったろう。道といっても馬が通れる程度の細い道じゃったろう。この国道から、慈眼寺も陣屋もよく見えていたことだろう。
由香
 石橋山の戦いで敗走した頼朝軍が、再結集したという意味では、歴史上の重要な場所であるのに、誰もそのことを知らないし、習志野カルタにも登場しない。

 どうも習志野市は観光に興味がないようじゃな。掘り起こせばいくらでも観光の目玉が出てくるのに、何もやっておらん。
由香
 爺さんのこの「津田沼街道を歩く」を見れば、いくらでも観光資源は出てきそうですよね。もったいないですね。

 観光に利用しなくても、郷土の歴史を市民によく理解してもらうだけでもいいんだけどなー。
由香
 千葉氏が400年も栄えたおかげで、ここが「千葉県」という名前になったんですね。

 いや、千葉氏が滅亡したおかげで、徳川家康に滅ぼされたおかげで、ここが千葉県という名前になったんだよ。
由香
 栄えたからではなく、滅亡したから、千葉県になったんですか。またまた、どういうことだか、全く理解できません。
posted by 絢 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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