2007年10月27日

津田沼発26

由香
 泥面子の話はこのくらいにしましょう。最近何か気づいたことはありませんか。

 先週の週末は各公民館で、市民文化祭の花盛りじゃった。みなさんの力作を鑑賞してきましたよ。
由香
 そういえば、郵便局が民営化される以前は、習志野郵便局本局では、入口近くの部屋で、市民の作品の展示会をよくやっていましたね。しかし、ここ数ヶ月はやっていないようですね。

 民営化ということは、営利を追求することが目的の企業になったということじゃね。そうなると、貸し賃を取って貸すということになるんじゃろう。いままでのようにサービスをするわけにはいかんのじゃろうて。
由香
 いままでのように市民に貸してくれるのか、料金を制定するのか、何らかの表示を出してほしい気がしますね。あの場所は、人目につきやすいので、見に来る人も多く、同好会の人々が作品を発表するいい場所ですからね。
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2007年10月21日

津田沼発25

由香
 話を泥面子に戻しましょう。

 江戸時代は、テレビゲームや任天堂のゲームがない時代じゃから、泥面子を使った賭け事は、ごく普通に行われていたと思うよ。だから、泥面子禁止令が出てもおかしくないかもしれんなー。
由香
 大人がやっていたとも考えられませんか。

 その方が自然かもしれんよ。当時は、競輪、競馬、オートレースにボートレースのような公営ギャンブルがなかった。だから、子供の頃から慣れ親しんだ泥面子で、賭け事をしていたということは十分に考えられるね。
由香
 泥面子禁止令はいつ頃発令されたんでしょう。

 天保時代と書いてあるものがある。天保時代は、水野忠邦が天保の改革をした時代じゃ。
由香
 天保時代になると、町人の経済力が大きくなって、士農工商の身分制では一番下の商人が、強くなっていった時代ですね。

 一番下の身分の商人が、経済力を持ち、たとえば墓石一つをとっても、巨大な墓石を建てるようになり、侍や貴族より立派な戒名をつけるようになっていった。
由香
 そこで水野忠邦が奢侈禁止令をだして、質素倹約を命じたんですよね。その結果、天保以後は町人の墓石は小さな墓石に制限され、戒名も院号は認められなくなったんですよね。

 そういう時代じゃったから、庶民の間で流行した、泥面子を使った賭け事を禁止したことは十分に考えられるよ。

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2007年10月18日

津田沼発24

由香
 爺さん、兵庫県で小学2年生が刺殺されるという、痛ましい事件がありましたね。

 聞いているだけで、胸が苦しくなるよ。かわいそうに。
由香
 習志野市でも、起こりうる事件ですよね。

 あの事件で一番問題だと思ったのは、小学2年の女の子が、すでに真っ暗になった午後6時に帰宅したことだと思う。
由香
 習志野市では、午後5時の、10分くらい前になると、有線放送で、「 子供は帰宅しましょう。地域の皆さんも子供達を見守ってください。 」、と放送していますよね。

 あの放送は、実は、東京の千代田区をまねたものなんだ。千代田区では,かなり以前から、同じような放送を午後5時にしていた。それを、ある習志野市民が、習志野市でも放送するように提案して、1年半ほど前から実現したんだ。
由香
 子供は暗くなる前に帰宅するほうが安全ですよね。

 これからの季節は、午後5時でも真っ暗になってしまう。市の放送も、午後5時より、午後4時半とか4時にしたほうが、いいかもしれないね。季節によって、時間を変えたほうがいいんじゃなかろうか。
由香
 用事のない大人は、夕方は家の前に出て、子供達が安全に帰宅できるように、見守ってほしいですね。ついでに周辺を、お掃除していただけると町がきれいになっていいかも。

 実は、習志野市内でも、バイクに乗った男が、幼い女の子のそばに寄ってきて、にたっと笑って走り去って行くという、気持ちの悪い男がいるといわれている。かなり以前から幼女や低学年女児に対して、そんなことをしているようだよ。
由香
 幼児犯罪歴のある男じゃないんですか。とにかく、みなさん子供達には十分気をつけてあげましょう。家でテレビを見るより、外へ出て、子供達を見守りましょう。子供達が助けを求める事態になったんでは、手遅れなんです。その前に、犯罪者が入って来れない町を作りましょう。
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2007年10月15日

津田沼発23

由香
 泥面子の話もいよいよ最後に近づいてきましたね。徳川幕府はどうして泥面子禁止令を出したんでしょうか。

 子供が遊びで泥面子を使っていても、いつのまにか勝った子供が負けた子の泥面子をもらうという事態になる。こうなると賭け事と同じになる。
由香
 遊びが賭け事になってしまうんですね。

 わしが子供の頃は、ビー玉で遊んでいたが、ゲームに勝つと負けた子のビー玉をもらっていた。そのうち、たくさんもらいすぎたのか、負けた子の母親が取り返しに来たことがある。
由香
 えげつなく小さい子から、さくしゅしていたんでしょう。大きい子が勝つに決まっているじゃないですか。

 わしはそういうつもりはなかったが、結果的にはそうなっていたようだ。だから小さい子の母親が取り返しに来た。
由香
 江戸時代でも、子供の間で、同じようなことがあったんでしょうか。

 わしが子供の頃は、ビー玉だけではなく、ベーゴマでも、勝てば相手のベーゴマをもらえるという遊びをしておった。関西では、ベーゴマのことをバイと言っておったよ。
由香
 爺さんは、ベーゴマでも搾取していたんですか。

 ベーゴマは小学校でも高学年か、中学生くらいが賭けに使っていた。わしは、勝てそうになかったんで、いつも横で見ているだけで、勝負には参加しなかった。
由香
 勝てる相手には、ゲームをやってさくしゅし、負けそうな大きな子が相手のときは、見ているだけで参加しなかったんですね。それってずるい。

 子供は遊びの中から、人生の教訓を得ていくんじゃ。大きい子が相手のときは勝負に参加せず、観客に徹する。君子あやうきに近寄らずじゃよ。
由香
 その程度の賭け事が幕府の禁止令にまでなるんでしょうか。

 ベーゴマを使った子供の賭け事は、問題があったのかもしれん。大人が来ないような路地裏で目立たないように、隠れてやっていたという記憶がある。言っとくが、わしは見ているだけじゃった。
由香
 子供同士が、物品をかけて勝負すれば、立派なとばく行為ですね。そしてそれが江戸中の子供に流行すれば、禁止令が出てもおかしくないかも知れませんね。

posted by 絢 at 23:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月09日

津田沼発22


 今戸焼きというのは、江戸の浅草にある今戸という地域で作られていた土器や土人形のことをいうらしい。500年間続いた窯元が、2004年に廃業し、完全になくなってしまったそうだよ。
由香
 土器というくらいだから、燃焼温度も低く、品質もあまり高級品ではなかったんでしょうね。

 江戸時代から、瀬戸物は有名だったから、高級品はやはり下り物だった。しかし、庶民が使う安い食器、瓦、おもちゃの土人形程度なら今戸焼で十分だった。泥面子もここで生産されていたといわれている。
由香
 やっと泥面子の生産地へ行きつきましたね。今戸で造られた泥面子が、江戸市中で販売され、それが糞尿やゴミに混じって津田沼にやってきた。それが畑の肥料に混じってまかれ、100年以上たった今でも発見されているという話になるわけですね。

 考えてみれば、今戸焼は、窯元として全国的に有名な場所ではない。その地域だけの産業遺産であり地域の文化財なんだ。しかし、このような地域産業遺産は、全国的に消滅しつつある。地域が保護し、釜跡や作品を保存していかないと、完全に消えてしまう。
由香
 釜跡が今も残っているんなら、作品と共に保存すべきでしょうね。地域が援助してあげないと個人では無理でしょう。区の史跡や都の史跡に指定すべきでしょう。

 財政難の時代だからむずかしいじゃろう。
由香
 同じことは津田沼でもいえますね。軍都として全国に名を知られたのに、軍事遺跡の保存にはぜんぜん熱心じゃありませんね。大久保の郵便局跡地は軍の司令部があった場所なのに、保存の話は全くなく、何か箱物を作ろうとしていますね。
 津田沼は、江戸後期から昭和初期まで、甘藷、つまりサツマイモの特産地だったのに、甘藷に関する地域産業遺産の研究が全くされていませんね。文化財審議会でも設置すればいいのに。

 習志野市には文化財審議会があるよ。そこには何名かの委員がいる。しかし、1年に1回、2月に会合を開くだけで、文化財に関しては、実質的には何もしていない。何年か前に、文化財審議会の委員長と話をしたことがあるけれど、習志野市にはたいした文化財はないと、一言で片付けられてしまったよ。
由香
 たいした物ではなくても、地域には地域の記憶が詰まった遺産があるんですよね。そういうものに光を当てないといけないんですよね。どこかの教育委員会にいたような人を、委員にするより、郷土史の研究をしている人を委員にすべきですよ。ここにはたいした文化財はないという人を委員にすべきではないですよね。

 またまた、泥面子の話からそれていってしまっているね。次は泥面子禁止令の話じゃ。
由香
 徳川幕府は子供の遊びを禁止したんですか。
posted by 絢 at 06:42| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月05日

津田沼発21

由香
 泥面子の話はもう終了ですか。

 泥面子は江戸のどこで造られていたと思うかい。
由香
 焼き物ですから、瓦とか皿、茶碗のたぐいを造っていたところなんでしょうね。たしか瓦の話のところで、江戸時代は深谷瓦が有名だったといわれていましたね。

 よく覚えていたね。埼玉県の深谷の瓦は江戸の瓦のほとんどを供給していたようだね。
由香
 瓦は三州瓦が有名じゃないんですか。

 三州瓦は江戸時代から有名だったが、瓦は重いので運搬がたいへんなんで、人口100万人の当時世界一の大都市、江戸までは、あまり運ばれてこなかったんだ。需要があっても、物流制度が整っていなかったということだね。
由香
 深谷からなら、川舟にのせて自然に下ってくるだけでよかったんですね。

 下りものはやはり、いいんだよ。
由香
 下りものって、関西から来るものを言うんでしょう。

 江戸時代の初期は、江戸には優秀な職人が少なかった。だから、優秀な職人がたくさんいる三河以西の地域で造られて、江戸へ下ってくるものを、「下りもの」といって、品質の良い物を意味した。
由香
 逆に、関東地方で作られたものは、質が悪いので、「下らないもの」と言われたんですよね。

 津田沼で一番古い瓦は、いつのものだといったっけ。
由香
 たしか廣瀬家の・・

 明治24年、1891年の甘藷蔵の屋根の瓦が、今のところ、一番古かったんだよね。たしか、平成18年8月17日に話しているよね。
由香
 そのときの話を読みなおすと、深谷以外では今戸焼と書かれていますね。ひょっとして、泥面子が焼かれていたのは今戸ですか。

 
posted by 絢 at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月04日

津田沼発20


 話は少しそれるが、江戸時代の馬の放牧場であった、五つの牧を開拓していったとき、入植順に一番から、十三番までに関係する名前をつけていったんだ。
由香
 一番最初は何ですか。

 初富だよ。初が一の意味だね。今の鎌ヶ谷市に当たるね。
由香
 たしか、新京成線に初富という駅がありましたよね。

 2番目が二和(ふたわ)、三番目が三咲(みさき)だ。どちらも船橋市にある。
由香
 どちらも曲がりくねった新京成線の中にある駅ですね。

 道路を車で走っていると、これらの駅の付近で何度も踏切を越えるだろう。新京成線が曲がりくねっていることを感じる駅だね。
 四番目が豊四季だ。今の柏市に当たるね。
由香
 四は死に通ずるので日本人が一番いやがる数字ですが、きれいにまとめましたね。四季といえば春夏秋冬を、まずイメージするでしょうからね。

 5番目は五香(ごこう)、6番目は六実(むつみ)で、どちらも松戸市にある。
由香
 だんだん津田沼から遠くなって行くのでわかりません。

 7番目は、七栄(ななえ)で富里市にある。8番目は八街(やちまた)。
由香
 この中では八街が一番よく聞く地名ですね。八柱霊園の八柱は違ったんですね。

 9番目が九美上(くみあげ)で佐原市、今は香取市になったのかな。十番目が十倉で富里市、十一番目が十余一と書いて、とよひと、と読む、白井(しろい)市だ。
由香
 行ったことありません。

 十二番目が十余二と書いて、とよふた、と読む、柏市だ。十三番目が十余三と書いて、とよみつ、と読む、成田市だ。
由香
 津田沼の少し先から始まって、成田市の十余三まであったなんて、ものすごい広さですね。ここから高速道路に乗っても、成田まで30分はかかる広さですね。広大な面積を、明治になってから開拓したんですね。
posted by 絢 at 06:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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