2009年01月25日

津田沼09−7

由香
 津田沼駅南口の話が先へ進みませんね。梅という話題が出てしまいましたからね。

 眼科・駅通りは、今、津田沼名木百選第2番のソシンロウバイが満開で、芳香が漂っているが、もう少し先へ行くと、コブシが大きな花芽をつけておる。
由香
 あのコブシが咲くと百選に入りそうですね。

 こぶしを越えて、少し先に左に曲がる細道がある。
由香
 津田沼クリニックから吉野園茶舗へ出る細道ですね。

 曲がってすぐ右手に、見事な白梅が目に入る。
由香
 あの白梅はいいですね。姿かたちが、このあたりの白梅では一番いいですね。京成の駅へ行く人は、わざわざあそこで曲がっていく人も多いでしょう。

 今はまだ、2分咲き程度じゃが、もうすでに、人の目を引き寄せる魅力を発散しておる。
由香
 それでは、眼科・駅通りから、茶舗・クリニック通りへ曲がってすぐの、白梅を、津田沼名木百選第4番といたしましょう。
 それで、南口の話はどうなりました。
posted by 絢 at 08:23| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月22日

津田沼09−6

由香
 爺さん、コメントにヒガンザクラと書いてありますが、正しいんですか。

 ヒガンザクラは、彼岸桜と書いて、3月のお彼岸の頃に咲く、全く別の桜じゃ。
由香
 眼科医院に咲いているのは、ヒカンザクラですよね。

 寒い時期に緋色の花をつけるので、緋寒桜じゃ。漢字で書くと3月に咲く彼岸桜と、1月に咲く緋寒桜は、区別が容易じゃが、耳で聞くと同じに聞こえる。
由香
 カタカナだと、ヒガンザクラとヒカンザクラで、同じに見えますね。

 だから、最近は緋寒桜は、寒緋桜、カンヒザクラというようになっている。コメントのように間違える人がいるから、今後はカンヒザクラということにしよう。
由香
 ところで、せっかくロウバイの原型の花を見つけたんですから、津田沼名木百選第1番に指定しましょうよ。

 それは面白いかもしれんな。
由香
 では、眼科・銭湯通りの中央部の塀の上に顔を出している、ロウバイを、栄えある津田沼名木百選第1番とします。

 ここの五差路の道にも名前をつけようじゃないか。今の眼科・銭湯通りから右回りに、駅へ行く道を、眼科・駅通りとしよう。次の駄菓子屋みよしから遠山サイクルへ行く道は、途中に久々田公園の入口があるから、眼科・公園通りとしよう。
由香
 では、白鳥製薬へ行く道は、眼科・製薬通りにしましょう。最後に、わいがや通りの床屋さんの横に出る道は、津田沼小学校の通学路になっているので、眼科・通学路通りにしましょうよ。

 それでは、眼科・駅通りにある、現在満開のソシンロウバイは、津田沼名木百選、第2番にしようか。
由香
 それじゃあ、この眼科のカンヒザクラは第3番に指定しましょうよ。

 これからは、次々と花が咲くシーズンじゃ。名木もどんどん指定されていくことじゃろう。
由香
 爺さんの楽しみがまた増えましたね。
posted by 絢 at 22:09| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月21日

津田沼09−5


 話が駅から飛んで悪いが、今日津田沼5丁目を歩いておったら、2つの花木が見事に咲いておった。この1月の寒い時期に、咲いておるから、ありがたいものじゃ。
由香
 どこの木ですか。

 1本は、三橋眼科医院の入口で、赤ピンクの花が八分咲きくらいの状態になっていた。たぶん、ヒカンザクラじゃあなかろうか。きれいだったよ。
由香
 もう1本は、どこにあるんですか。

 三橋眼科医院から、みはし湯へ行く細い道があるじゃろう。あの真ん中くらいで、うすい黄色で、中心部が暗い紫色の花が咲いておった。これは満開状態じゃった。
由香
 なんという花ですか。

 ロウバイじゃ。ロウバイには、全体が黄色いソシンロウバイもあるが、ここのは本来のロウバイそのものの色をしておった。
由香
 ロウバイというくらいですから、梅の1種ですね。梅や桜と同じバラ科ですね。

 それが、ロウバイは梅の1種ではなく、ロウバイ科の植物で、バラ科ではないんじゃよ。蝋細工のような梅に似た花という意味で、ロウバイという名前になったんじゃ。
由香
 ロウ細工って、どんな状態をいうんですか。

 ロウを塗ったような光沢がある花と、図鑑には書いてある。
由香
 本来のロウバイを見たことがない人は、三橋眼科医院から、みはし湯へ行く通りへ入って、見てみればいいですね。花の名前を一つ覚えると、春の楽しみが増えますからね。

 ついでに言っておくと、三橋眼科医院から北に、つまり京成の駅の方へ行くと、中心が暗い紫色になっていない、つまり全体が黄色い、ソシンロウバイが満開になっている。良い匂いが漂っているよ。ロウバイの仲間はいい匂いがするんじゃ。

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2009年01月18日

津田沼09−4

由香
 爺さんの、お話が始まってちょうど2年半経ちました。そこでもう一度、JR津田沼駅に立ち戻り、同じ道を歩いてみることにしましょうよ。2年半で、津田沼がどう変ったかを調べてみましょうよ。

 たった2年半で、変るもんじゃろうかと思うが、もう一度歩いてみることにしようか。
由香
 ほら、もうここは、JR津田沼駅の改札を出たところですよ。もう変っているじゃあないですか。

 確かに、切符の自動販売機や窓口の配置が変って、もう1年くらいになるかなあ。右端にあった旅行会社の店舗がなくなったのかな。
由香
 改札から左へ行けば、北口で、船橋市の方はこちらへ出られますよね。すぐ前の道は、「ぶらり北通り」と「ぶらり東通り」と名づけられました。2年半前には、こんな名前ではなかったと思いますよ。

 それに、丸井がなくなって、新しい名前の店になったのも、1年くらい前のことじゃったなあ。アーナだったか、ムーナだったか、ミーナだったか。意味不明の名前じゃったなア。
由香
 この北口では、民主党の野田佳彦衆議院議員が、歩道橋の上で街頭演説をしているらしいですね。

 南口では、故永田議員が街頭演説していたんだから、かっての民主党のホープが、JR津田沼駅の南北の出口で、がんばっていたんだなあ。
由香
 偽メール1枚で、両者の評価が下がってしまいましたね。

 南口も、この2年半で、かなり変っているよ。
posted by 絢 at 08:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月10日

津田沼09−3

由香
 爺さん、最近は秋津サッカー場で、全国高校サッカーをやらなくなりましたね。

 あれは、ほかのいつも使っていたサッカー場が、工事かなにかで使えなかった時だけの代替だっただけのことらしい。本来の使用場所ではなかったそうじゃ。
由香
 では、サッカー日本代表が秋津を使ってくれるのをまちましょうか。

 それもいつまで続くかわからんぞ。
由香
 どうしてですか。
 どうしてサッカー日本代表が、小さなスタンドしかない秋津を使うようになったんですか。

 最近聞いた話では、オシム監督に原因があるそうじゃ。
 オシム氏が、ジェフ千葉の前身、ジェフ市原の監督になった。そのオシム氏が秋津を気に入って、ジェフの練習場に使うようになった。
由香
 確かに、ジェフ市原のホームの市原臨海サッカー場は、あまりいい感じしませんね。

 それに比べれば、秋津は緑に囲まれて美しく、芝もきれいじゃ。
由香
 成田空港と東京の、ちょうど真ん中にあって、高速道路にも近く、幕張のホテルに宿泊する外国チームの練習場にも使われるそうですね。

 ジェフ市原は、オシム氏が監督なってから急速に強くなった。現在の各年齢の日本代表に次々と選手を送りこむようになった。
由香
 貧乏チームですから、日本代表になった選手が、巻以外、すべて他チームに引きぬかれてしまいましたね。

 その手腕をかわれてオシム氏が日本代表の監督に抜てきされた。
由香
 そのチーム、ジェフ千葉の練習場が秋津だったというわけですね。

 オシム氏は、代表監督になっても秋津を使い続けたというわけじゃ。
由香
 秋津は、学生の合宿などには使わせないそうですね。原則、試合だけの使用に限っているそうですね。

 だから、芝の傷みも少なく、きれいなサッカー場なんだよ。
由香
 でも、オシム氏も、すでに帰国してしまいましたね。

 年には勝てんよ。
由香
 オシム氏がいなくなると、秋津を使わなくなるという可能性があるわけですね。

 外国人が代表監督になれば、成田に近いということが利点になるが、日本人が監督ならば、その人の住まいからの距離が問題になるかも知れんぞ。
由香
 ずっと秋津を使ってほしいものですね。
posted by 絢 at 08:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月06日

津田沼09−2

由香
 爺さん、津田沼に関係することは話をしておくというなら、例の訃報も話さないと行けませんね。

 正月早々、縁起でもない。誰の訃報じゃ。
由香
 前衆議院議員の故永田寿康氏のことですよ。

 そういえば、亡くなられたそうじゃな。何年か、下積みをして、捲土重来するんじゃないかと思っておったが、残念なことじゃ。それと津田沼とどういう関係があるんじゃ。
由香
 あの方は、千葉2区ですよ。つまり、習志野市、八千代市、千葉市花見川区を選挙区にしていた方ですよ。

 ということは、3回当選しておられたから、そのたびに、JR津田沼駅南口に立って、選挙活動をしておられたわけじゃな。習志野市民も、多くの方が駅頭で本人と会っていたことになるわけじゃなあ。
由香
 ここが選挙区ですから、市の公式行事にも出ておられましたので、市のお偉方は皆さん名刺交換していたはずですよ。新年の賀詞交換会にも出席しておられました。

 つまり、故永田氏は、この習志野市と深い関係があったと言いたいんじゃな。地元の出身じゃったのか。
由香
 出身は名古屋市で、慶応志木高校から東大工学部を出て、大蔵省に入り、その後衆議院議員になりました。

 絵に描いたような出世コースじゃないか。選挙費用はどうしていたのかな。
由香
 ネットで調べると、父親は九州の医療法人の経営者で、日本有数の大資産家と書いてありますよ。父の援助で、八千代市に病院を建てたり、専門学校を建てたりしていたそうです。

 今問題になっている、住む家もない派遣労働者の方々の境遇と比べると、人もうらやむ、家系とエリートコースを歩まれたわけじゃな。その方が、何かの縁で、ここを選挙区にされたということなのか。
由香
 正月早々、訃報の話で申し訳ありませんが、国会議員として成功しておられたならば、この津田沼との縁もますます深くなっていたことでしょうから、一応お話させていただきました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・

 人生の運を、あまりにも早く使いきってしまわれたのかなあ。お若いのに、残念なことじゃ。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・
posted by 絢 at 16:46| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月03日

津田沼09−1

由香
 爺さん、あけましておめでとうございます。

 あけましておめでとうございます。今年も、すでに300人を超えるアクセスをいただいておる。
由香
 3日で300人超ですか、いいペースですね。爺さんのお話も、地域の人々の、生活の一部になりつつあるんじゃあ、ありませんか。

 そんなことはありえないじゃろう。わしは言いたい事を言っているだけの、老いぼれじじいにすぎんのじゃよ。
由香
 菊田神社に、初詣に、行かれたんですか。

 行った。但し、2日じゃった。なにしろ、元日は、菊田神社はたいへんに混んでおる。
由香
 たしかに、元日の菊田神社は、すごく混んでいますね。今でも、地元の神社を、大事にする人々が多いんですね。

 うれしいことじゃないか。地元の神社が栄えなくて、地域が栄えることなんてありえないぞ。
由香
 東漸寺はどうですか。

 当然のことながら、東漸寺に墓参りに行ってきたよ。
由香
 どう言うわけだか、正月の東漸寺は、あまり混んでないんですよね。菊田神社とは対照的ですよね。

 東漸寺にお墓を持っている人は、昔からの住人に限られておる。最近、このあたりに来られた住人には、東漸寺にお墓を持つことは不可能じゃろう。
由香
 それはともかく、爺さん、今年も、地域の話を、宜しくお願いいたしますよ。

 こちらこそ、宜しくお願い申し上げます。


posted by 絢 at 21:57| Comment(3) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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