先日、JR津田沼駅から谷津図書館の方へ向ったら、何と、畑だったところがバイパスになって、舗装道路が出現しておった。広々として気持ちの良い景色が、だんだん壊されていく。
由香
たった2年半で、駅の周囲がどんどん変っていってますね。習志野郵便局も、2年半前は、民営化前でしたよね。
爺
マロニエ道路側の部屋を、以前は市民に、展示会の会場として貸し出してくれていたのが、民営化後は、全く貸してくれなくなってしまったなあ。
由香
郵便局の向かいの、津田沼中央病院も、建物が新築されて、きれいになりましたね。
爺
どういうわけか、市内にある病院は次々と新築されていくなあ。この中央病院も、習志野第一病院も、三橋眼科も、新築され、歯科医院もいくつか誕生しておる。
由香
銀行にとって、健康保険から確実にお金が流れてくる病院は、融資先として安全だと思っているんでしょうか。どこへ行っても、病院がきれいな建物に変っていっていますよね。袖ヶ浦東小学校の前には個人病院が並んでいますが、ここもきれいな建物に建てかえられていますよね。
爺
できれば、病院建築は、特徴のあるものにしてほしいなあ。明治、大正、昭和初期の病院建築は、文化財に登録されているものがたくさんある。
由香
どうして、明治、大正、昭和初期の病院建築は文化財になるものが多いんですか。
爺
明治になってから、西洋医学が日本に入ってきた。当時の医者は、それまでの東洋医学ではなく、最新の西洋医学を学んだ医者であることを示すため、建物を洋風にしたんだ。
由香
医者は昔からお金持ちが多いですから、明治・大正・昭和初期のお医者さんは、木造ながら洋風の、つまり三角屋根を多用した医院をたくさん建てたということですね。それらが今、文化財として登録されているということですね。一番近くではどこでみられますか。
爺
船橋市宮本町の旧兼坂医院が残っているよ。大正5年(1915)の建築だよ。
由香
船橋大神宮の近くですね。
爺
大神宮のところで成田街道と国道14号の方へ行く道が分かれているだろう。それを成田街道に入って中野木、つまりJR津田沼方面に行く。大神宮を過ぎて数十メートル行くと右手に三角屋根の建物が見えるよ。
由香
文化財になっているんですか。
爺
このあたりでは唯一といっていい大正洋風医院建築だが、文化財には指定されていない。所有者の考え方次第だが、残念じゃ。
由香
取り壊されることもありうるということですね。
爺
じつは、この旧兼坂医院の近くに、昔から「百万長者の家」と呼ばれた、土蔵造りの、ものすごい古めかしい、迫力たっぷりの家があった。天邪鬼野郎(紋狗悠之輔)さんが、よだれをたらしそうなくらいすごい鬼瓦がのっかっておった。
由香
見てみたいですね。
爺
それが、2年ほど前に取り壊されて、跡地が建売住宅群になってしまっている。
由香
古い建物を残すことは、たいへんなことですからねえ。