2011年04月25日

津田沼11−21

2008年2月の下(した)の大六天
由香
 じいさん、この無残な姿の写真はなんですか。

 下の大六天の、最近までの姿じゃ。
由香
 上の大六天が、津田沼幼稚園前のたぬき山にありますが、ここが海に近い方の下の大六天神社ですね。ぼろぼろじゃあないですか。崩壊寸前といっていい。

 去年の暮れに見に行ったときには、完全になくなっておった。この1年くらいの間に撤去されてしまったらしい。
由香
 たしか、大六天は、船の下から現れて、舟を沈めてしまう魔物のことですよね。その魔物を鎮めるために、大六天神社があるわけですよね。

 このあたりで舟が栄えていた時代は、せいぜい大正時代までじゃ。今のJRや京成が走る昭和になると、輸送道具としては使われなくなってしまった。戦後は埋め立てで、海もなくなってしまった。
由香
 魔物を鎮める必要がなくなると誰も訪れなくなるし、建物を維持しようとする人もいなくなるというわけですね。

 船を使うことが無くなってしまったんだから、やむをえない。
由香
 菊田神社に移して保存してもらえばよかったのに。

 安産の神や稲荷神社などは今でも信仰されているが、大六天神社は海で働く人の神様じゃ。その海で働く人がいなくなってしまったら、移す価値もなくなってしまったということなのかなあ。
由香
 習志野市は軍隊の歴史を消そう消そうとしているように、過去の文化を大事にしない都市ですよね。

 しかし、なんと言っても神様であることには間違いない。下の大六天神社の最後の姿は、この写真だけかも知れん。
由香
 この姿を写真に収めようなんて思う人は爺さんしかいませんよ。
 この建物を移築しようとしたらお金がかかりますよ。菊田神社には、石のお宮しか移管されていません。

 この神社に思い出のある方は、画面に向かって、お参りください。2礼2拍1礼でいいんじゃなかろうか。
由香
 下の大六天の神様はこの写真の中におられるというわけですね。

 賽銭箱を用意しとけばよかったかな。
posted by 絢 at 07:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月23日

津田沼11−20

由香
 じいさん、昨日菊田神社へ行ってきましたが。一部、様変わりしていました。

 どういう風に変わってしまった。
由香
 東関東大震災でかなりの被害がありました。でも、拝殿、本殿、お神輿の建物には被害がありませんでしたから、その意味では、被害は軽微でした。

 鳥居が倒れたと聞いておるが。
由香
 参道の入口にあった鳥居は、なくなっていました。参道に入ってすぐ右にある琴平神社の石のお宮は、地面にうつぶせに倒れたままになっていました。

 元通りに基壇の上に戻しても、余震で再度落ちるかもしれんから、そのままにしてあるんじゃろう。
由香
 参道に入って10メートルくらい進むと2組の狛犬が両脇に立っていますが、この狛犬は両組とも被害はありませんでした。その次に、左右に、高さ3メートルほどの灯ろうがありましたが、これは両方とも崩落していました。バラバラになっていたといえばわかりやすいでしょうか。

 拝殿、本殿はたしか銅板葺きじゃから、屋根に被害はなかろう。
由香
 拝殿、本殿は被害はなさそうでした。そのすぐ左側にある神主のお宅の屋根の棟瓦が、中央部から左右にかなり崩落していました。

 今回の震災の、この地域の被害の最大の特徴である、屋根の棟瓦が中央部分から左右に崩落しているという現象じゃな。
由香
 棟瓦の中央部から左右に、棟瓦全体の6割程度崩落しているようでした。ブルーシートがかぶせてありました。

 ところで、県民だよりに県内の被害状況がかかれていたので、この周辺の、被害の数だけ記録しておくよ。
 習志野市は、死者1、建物全壊2、半壊207、火災1、断水3070戸、下水道使用制限9300戸。お隣の船橋市は、建物全壊2、半壊34、火災1、断水30戸。八千代市は、死者1、火災2。千葉市は、建物全壊20、半壊335、床上浸水2、火災5。松戸市は、全壊2、半壊11。市川市は、火災2。
由香
 この数字を見ると、内湾地域では、浦安をのぞけば習志野市が1番被害を受けていますよね。

 浦安市は、全壊8、半壊470、断水3万3000戸、下水道使用制限1万3000戸。浦安は、この数字以上に、道路がうねったり、電柱が倒れかかったりした被害が多いので、別格じゃ。
由香
 浦安市と習志野市は、戦後の埋立地を団地や住宅街にしたんで、上下水や建物の被害が多いんですよね。千葉市から先の房総半島は、埋立地を工場群にしたんで、住宅の被害が少なく、市原市の石油コンビナート火災が記憶に残っていますよね。

 船橋市も被害が少なかった。船橋は海岸沿いを今でも港として使っているし、三番瀬のように自然の海岸を残している。倉庫群も多い。
由香
 船橋は海岸沿いの若松地域の大きな団地に、上下水の被害がなかったというのが意外ですね。

 幕張メッセの横にある打瀬の高級マンション街にも、上下水の被害がなかったから、同じ埋立地でも、施工の仕方か、もともとの地盤でこういう違いがでるのかなあ。
由香
 人気があった浦安の高級マンション街が、大きな被害を受けたんで、地盤の安定した内陸に人気が移るかもしれませんね。

posted by 絢 at 08:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

津田沼11−19

由香
 爺さん、電力事情の影響で、どこへいっても薄暗くなりましたね。

 今までの日本が異常なくらい明るすぎたんじゃ。なんでこんなに明るくするんじゃろうと思っておった。
由香
 駅や職場で少し暗くても、さしさわりありませんよね。

 必要な時だけ照明をつければいいんじゃ。人が少ない夜の公園や裏道は明るくてもよいが、駅や繁華街は人がいっぱいいるから、無用心ということはなかろう。
由香
 外国はこの程度の照明なんでしょうね。

 バブル時代に何度も海外旅行をしたが、どこでもこの程度の暗さじゃ。最近、夜、京成津田沼駅から外へ出た時に、外国へ来たような感じがした。やっと世界標準の明るさになったということじゃあなかろうか。
由香
 節電で暗くなるんじゃあなく、この程度が当たり前の世の中にすべきですよね。

 それにしても、東電の責任は大きいし、政治家の責任も大きいと思うなあ。
由香
 政治家にも責任がありますか。

 日本では、原子力に関して発言することは、まるでタブーのようになっていた。電気事業連合会は、巨額の金を持つ圧力団体じゃったから、政治家も誰も原発の安全性について議論をしなかった。
由香
 民主党も、結局、東電への天下りを認めていましたし、企業献金も復活させていますよね。

 天下り容認、企業献金容認、公務員の削減は先送り、公務員の給料2割減も先送り、選挙権の格差是正もしない、そのうえ子供手当ても廃止せざるを得なくなったら、民主党自体が存在価値がなくなってしまうじゃろう。
由香
 こんなことをしていたら、数年後には民主党は消滅するでしょうね。

 政界再編は、いいかげんにしてほしかったんじゃがのう。
posted by 絢 at 08:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月10日

津田沼11−18

由香
 じいさん、どうしたんでしょうね。突然、急激に、今日は増えてますね。

 このまま行くと、わがブログの過去最高を更新しそうじゃなあ。
由香
 今日になって、またまたじいさんの「大正6年の大津波」の話に、たくさんの来訪者がきているんですよね。

 新学期が始まって、学校で「東京湾での津波」に関して調べるようにという宿題でも出たんじゃろうか。
由香
 たくさんの人に大正6年の大津波の話を聞いてほしいという爺さんの望みが、かなっていますね。ほかには日本中で、この話をしている人が、ほとんどいないんですから。

 理由はよくわからんが、1日で千人以上の人が、来訪いただくのはうれしいことじゃ。ごゆっくりしていっていただきたいのう。
由香
 市内の人の来訪が多いとうれしいんですけれどね。

 選挙と関係があるんじゃろうか。
由香
 じいさんは、全く選挙の話をしていないんですから、関係ないでしょう。

 今日、谷津の西光寺周辺を歩いてきたが、古い家が多いのか、たくさんの家で、棟瓦が崩壊していた。
由香
 谷津は織戸家が多い地域ですよね。織戸村とも呼ばれています。

 不思議なことに、織戸家の旧家が建ち並ぶ家々には、あまり被害がなかった。それ以外の谷津の古い住宅に、棟瓦の被害が発生していた。
由香
 どうして織戸家の家々に被害がなかったんでしょうね。

 外見的には被害はないように見えるが、軸組みの木材には、かなりのダメージがあると思う。補強をしておかないと、次の大地震には耐えられないかも知れん。
由香
 織戸家の家々は強かったというのが印象ですね。
posted by 絢 at 21:05| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月09日

津田沼11−18

由香
 新学期も始まってしまいましたが、津小の卒業式はどうだったんでしょうか。

 わしが聞いたところでは、3月18日に、予定通り行われたそうじゃ。どういうわけだか、女性の校長先生の話が、ずっと泣きっぱなしで、なんであんなに泣いているのかわけがわからんという話じゃった。
由香
 在校生は、4,5年生が出席したんですよね。

 卒業生と、在校生が、向かい合って、まるでミュージカルのように別れの歌を、交互に歌って、さようならを連呼していたそうじゃ。そうした歌が30分も続いたんで、聞いている方も疲れたそうじゃ。
由香
 入学する中学の制服姿も話題になりましたか。

 開成に受かったのに、渋幕に入学した子や、麻布中学の黒いボタンの子、海城の金ボタン、慶応に入った子もいたという。今年は、結構、有名中学進学者が多かったみたいじゃなあ。市川、東邦は、言うまでもないが。
由香
 開成に受かったのに、渋幕に入る子がいるんですか。

 理由はわからんが、開成に受かっても、入学しない子が、津小にもいるなんて愉快じゃあないか。
由香
 優秀な子でも、津小は社宅の子が多く、転勤が多いので、有名中学受験者が少ない小学校なのに、今年は豊作でしたね。

 詳しく調べれば、毎年、有名中学進学者が、けっこういるかも知らんなあ。
posted by 絢 at 18:55| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月05日

津田沼11−17

由香
 4月に入ったというのに、寒いですね。公園の桜も咲いていませんね。袖ヶ浦団地の千葉銀行へ行くと、近くの団地内に、バキュームカーがたくさん止っていましたよ。いまだに、下水が復旧していないようですね。ホースをマンホールに入れて、下水を汲み上げているようでしたよ。

 団地の建物は、よく見てみると、地面の際の部分が浮きあがっていて、周囲のコンクリートが壊れているところがたくさんある。たぶん、その下にある上下水道管が切断されてしまっているんじゃろう。
由香
 バキュームカーを持っている業者は特需ですね。

 団地は、昔の住都公団、今で言うUR都市機構の関連会社が管理しているから、習志野市が支払うわけではなかろう。
由香
 千葉銀行の建物も、あちこちいたんでいますね。

 埋立地の方の復旧は、まだ時間がかかるじゃろう。国道14号、千葉街道の北側では、屋根、それも一番上の棟瓦が壊れている家がかなりあった。国道を、東京方面に、江戸川区まで進んでいっても、同じ状況じゃった。
 今回の震災の特徴は、建物をねじるように揺らしたこと、それが6分くらい続いたので、棟瓦がちぎられたように崩れている。
由香
 上下に揺れるだけなら、棟瓦は影響を受けずに、一般の瓦が滑り落ちてくるでしょう。しかし、今回は上下の揺れは感じませんでした。左右に強く揺さぶられる揺れでしたね。

 揺れの状況を記録しておくと、まず最初に宮城県沖のマグニチュード8.8の地震があった。ラジオとテレビが緊急地震速報を流した時点で、すでにわずかな横揺れが始まっていた。次第に揺れが強くなったので、家を出て、家の全体が見えるところまで離れて、揺れを観察した。宮城県沖の揺れは千葉県からは震源が遠かったので、左右にかなり揺さぶられたが、周期が大きく、たぶん棟瓦を壊すまでには達していなかったと思う。2分か3分揺れて、ようやく収まってきたので、家の中に入った。
 椅子に座って、テレビで地震の確認をしようとしたら、また急に揺れ出した。あとでネットで調べると150秒後に、福島県沖が起こり、さらに連続して茨城県沖が発生したらしい。外へ出て、再度、家の揺れを観察した。
 宮城沖より建物が左右に揺さぶられる周期が短くなってきたので、これ以上揺れると危険だなあと思っていると、本当に、さらに短い周期で激しく建物が左右に振りまわされる状況になった。福島と茨城の合計で3分くらい続いたろうか、最後の方はかなり激しく建物が、振り回されているという状況になってしまったので、建物が倒れても仕方ないと覚悟した。たぶんこの時点で、多くの家の棟木がくの字形に曲がり、曲がった部分の棟瓦が、ちぎれるように落ちていったんだと思う。多くの家の棟瓦の中央部が壊れているのは、くの字に曲がったためであろう。
由香
 鉛筆を、激しく振ると曲がって見える遊びがありますが、棟木が鉛筆のように振られて、中央部の棟瓦が壊れたと表現すれば、わかりやすいでしょうか。

 もう倒れても仕方ないと思ったときに、揺れが収まってきたんで助かった。
 今回は、3つ合計でマグニチュードが9と判断されている。
由香
 震源が3段階で、近寄ってくるたびに、周期の短い激しい横揺れが来るということは、将来予想されるもっと震源の近い地震が来ると、爺さんの家も倒れる可能性がありますね。

 客観的に見るとそう思える。しかし、今回は福島と茨城の2つが重なってきたので、かなり長時間揺れていた。直下型なら、こんなに長く揺れないと思うがなあ。
由香
 阪神淡路大震災は、何分揺れたんでしょうか。

 神戸で、せいぜい15秒から20秒といわれている。揺れが小さかった大阪で1分といわれている。ただ、激しい縦揺れがきたんで、断層の付近だけに甚大な被害が生じている。あとは火災が原因の被害じゃ。
由香
 当時神戸に住んでいた人に聞いたことがありますが、場所によって被害がかなり違ったそうですね。断層に沿ったところとそうでないところで、同じ神戸でも、かなり揺れが違ったそうです。その方の居た所は、たいした被害にあわなかったそうですよ。

 想定外の事が起きるのが天災じゃ。何事も用心に越した事がないよ。
由香
 クライストチャーチでも、五ヶ月も経って、あの大きな余震がきたんですから、まだまだ油断できませんよね。
posted by 絢 at 18:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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