2006年06月20日

鷺沼は頼朝伝説の地


 鷺沼がそうだよ。吾妻鏡に出ている地名だ。
由香
 吾妻鏡って、源頼友が鎌倉幕府を作ったときの歴史書でしょう。

 よく知っているね。その中の治承4年、1180年10月1日に頼朝と頼朝方の武士たちが、鷺沼の御旅館に集まったことが書かれている。
由香
 すごいじゃないですか。頼朝伝説があるところはどこも文化財になったり、大きな説明板があるのが普通です。鷺沼にも何かあるんでしょう。

 それが何もない。
由香
 どうして何もないんですか。

 鷺沼御旅館といっても、それがどこかわからない。いろいろな説はあるけれど。
由香
 それらしいところはあるんでしょう。

 慈眼寺(じげんじ)の右となりにかって鈴木家があった。そこは今は売却されて、分譲墓地になっている。鈴木家の屋号は陣屋というから、昔から人々の伝承では、ここが御旅館の場所だといわれている。
由香
 それだけで十分じゃないですか。800年以上も前のことだから、建物もぽつんぽつんとしかなかったでしょう。そこに頼朝とその武将たちが集まったんだから、陣屋という屋号は、そのものじゃないですか。

 今は分譲墓地になったので、かっての陣屋の土地の奥にまで入って行けるようになった。行って見ると、周囲に建物が建てこんでいる現在でも、ここだけがうっそうとした雰囲気が残っている。
由香
 いいじゃないですか。私が市長ならすぐ大きな看板で、吾妻鏡の記述と陣屋伝説を解説した説明板を立てて、観光バスが止まれる駐車場も用意して、頼朝伝説の観光地にしてしまいますよ。

 当時から、地名が変わっていないのはここだけだし。
由香
 どう言う意味ですか。

 千葉県内には、東京湾を渡った頼朝が上陸した島など、吾妻鏡に書かれた地名がいくつか残っているが、鷺沼以外はすべて名前が変わってしまっている。鷺沼だけが、吾妻鏡に書かれた地名と同じ地名のままで、今日まできているといわれているんだ。
由香
 すばらしいじゃないですか。すぐに観光地にして宣伝しましょう。地元が栄えますよ。このあたりを頼朝とその武将達が、馬にまたがって走っていたか、歩いていたことは間違いないんだから。それだけで歴史ロマンの地になりますよ。町作りには最高じゃないですか。

 ぜひ由香ちゃんに市長になってほしいね。
posted by 絢 at 09:40| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。1982年まで鷺沼に住んでいた者です。いまも実家があります。陣屋の森というのが実家のすぐ近くにありました。年寄りがそう呼んでいました。鷺沼保育園の向かい、養老院の隣で、50メートル四方ぐらいの広さ。いまは宅地になっていますが、鬱蒼としていて子どもの頃時々入りましたが怖くて長い時間はいられませんでした。頼朝の話に通じるとは初めて知りました。
それから鷺沼古墳から100メートルぐらい海よりの所に、呪いの森というのがありました。年寄りの話では、ここで昔、戦に負けた人たちが処刑された場所で、そういう呼び名がついているらしい。たたりがあるから近寄るなと言われました。ここもいまは宅地になっていますが、処刑がいつ頃で、誰が誰を処刑したのか知りたいです。ネットで検索しても呪いの森についてふれているものはでてきません。
何かわかればブログの続きにだしてください。
Posted by しばいぬ at 2009年11月20日 00:53
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