2006年06月27日

旧鴇田家は重文級の古民家


 鴇田(ときた)家の建物は、享保12年(1827)から翌年にかけて建築されている。そのことが、大工手間日記に書かれていた。誰がどういう仕事をして、いくら賃金をもらったとか。大工の出勤簿のようなものまでそろっていて、民家建築の記録としては、最も詳細なもののひとつだよ。
由香
 古さのランキングとしては何番目ですか。

 房総半島南端に近い,石堂寺(いしどうじ)に移築保存されている旧尾形家が、享保13年という墨書きがあったことで、国の重要文化財に指定された。この尾形家が、県内では旧大沢家についで第2位だ。
由香
 それじゃ、鴇田家も同じ年代なんだから重文に指定されてもいいんじゃないですか。重文級と言うのは、そういう意味なんでしょ。

 しかし、さっきも言ったように,重文の指定は予算や,発見された時期によって変わってくる。もし、鴇田家の建築記録が、もうすこし早く発見されていれば、重文に指定されていただろうね。それにしても享保13年の完成は、習志野市に、千葉県の古さナンバーワンとナンバーツーがあることになるから、また関東全域で見ても、鴇田家は7番目くらいの古さだから,習志野市の古民家が、どれだけすごいかわかるだろう。
由香
 どうして、鴇田家の建築記録の発見が遅れたんですか。

 鴇田家のある実籾地区は、江戸時代は純粋な農村だった。鴇田家は代々の名主で,その蔵には膨大な量の古文書類が収納されていた。それを分類しているうちに発見されたんだが,あまりにも多くて,発見と解読までに時間がかかってしまった。そのうちに各県4棟か5棟の重文指定の時期が過ぎてしまったということだろうね。最近のものより,江戸時代のほうが、記録がたくさん残っているからね。
由香
 それはどういうことですか。新しい記録が少なくて,古い記録のほうがたくさん残っているって。おかしいじゃないですか。

 古いといっても,江戸時代の記録のことだよ。江戸時代は、身分制が厳格で,名主の地位は世襲で固定していた。鴇田家は実籾の名主として、何百年も続いたから記録が残った。名主は今で言えば村長のような存在で,名主の家は村役場,蔵は住民記録保管庫みたいなものだった。だから、鴇田家の蔵から膨大な量の記録が発見されたんだ。日本中どこでも同じようなものだよ。
由香
 新しいものはどうして少ないんですか。

 明治新政府になってからは、県制度、郡制度、町村制が何度も改編された。そのたびに記録が破棄されてきた。とくに第2次大戦が終わりかかったころ、アメリカ軍が進駐してきて,記録を見られると責任を追求されるかもしれないという話になって,大量に記録が抹殺されたといわれている。
由香
 そうすると、昭和初期や大正時代の記録のほうが貴重だというんですか。

 その通りだよ。昭和初期のものが家にあったら,ぜひ教育委員会に見せてほしいね。
由香
 普通は昭和や大正では、新しいと思うから処分するかもしれませんね。

 たとえば、明治から大正にかけて郡制度があった。このあたりは千葉郡で、千葉市に郡議会もあった。ところが、郡議会の議事録はほとんど全く残っていない。
由香
 津田沼との関係ではどうですか。

 津田沼町時代の議会の議事録などはほとんど残っていない。津田沼小学校の先生が記録した、津田沼町郷土教育資料という本しか、当時のことが書かれたものがないんだ。また、津田沼地区は江戸時代は久々田村だったが、名主を交代制でやったらしくて,あまり記録が残ってないんだ。
由香
 担当者がころころ代わると責任の所在がはっきりしなくなるという、現代にも通じる話ですね。ところで、千葉工大の横をあるいているところから全く進みませんね。

posted by 絢 at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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