2006年07月13日

甘藷はどうして飢饉を救うのか


 飢きんによって、甘藷の生産が拡大したというのは理解しやすいだろう。もともと飢きんの時の食料として、関東地方に、青木昆陽によって導入されたんだから。
由香
 その飢きんというのは、いつの飢きんのことなんですか。

 天明の大飢きんの時だよ。天明2年というと1782年だが,この年から天候が悪くなり、天明3年にはアイスランドのラキ山と岩木山、浅間山が大噴火をした。これで空中には火山灰が飛び散り、以後数年間冷夏となった。このためお米がほとんど収穫できなくなったんだ。
由香
 でも考えてみると,冷夏になると、お米はとれないのに、甘藷はどうして収穫できるんですか。どこが違うんですか。

 当時の日本の米(稲)は、秋の収穫時期までに、高温が続き、その毎日毎日の高温の合計が一定量に達しないと実らない性質だったんだ。稲によっては菊の花のように、日照時間が短くなると自然に花が咲き実る種類のものもあるが,日本の稲はそうではなかったんだ。だから、冷夏になると、温度の積算量が不足するため、実らないんだ。
由香
 サツマイモはやせ地でも育つといいますから,どんなところでもたくさん芋を作る能力があるんですね。

 サツマイモは、葉で作った養分,つまり澱粉を地下の芋に貯蔵しているんだ。花を咲かせているわけじゃない。だからある程度の葉があれば、たくさん澱粉を作ることができる。花ではなく葉の数の問題なんだ。
由香
 やせ地では、葉が繁らないんじゃないですか。

 植物に必要不可欠な3要素はチッソ、リンサン、カリだね。そのうち葉っぱを増やすのはどれか知っているかい。
由香
 チッソです。

 やせ地には窒素分もない。ところが甘藷には、空中にいくらでもある窒素を体内に取り入れる能力があるんだ。
由香
 だから、どんなやせ地でも、空中の窒素を取り入れて葉を増やし,澱粉をたくさん作ることができるんですね。

 だから、大げさに言えば、どんなに火山が噴火しようと、空気がある限り、サツマイモは収穫できるんだ。
由香
 目からうろことはこのことでしょうか。こんな話、どんな本にも書いてないでしょう。

 書いてあるんじゃないかなー。それはともかく、それまで毒があるといううわさのために、生産が拡大しなかった甘藷が,天明の大飢饉で、全国で人がばったばったと死んでいったときにも、幕張を中心に、甘藷を作っていた周辺の人々は、一人も餓死する人がいなかった。そのため今の千葉市、習志野市、八千代市、船橋市と生産が拡大し,甘藷の特産地になっていったんだ。
由香
 特産地ということは、甘藷を販売していたということですか。

 江戸へ船で運んで販売し、たいせつな現金収入源になっていた。自給自足がほとんどの地方の人々にとって、現金収入源があると江戸の進んだ文化も手に入れることができたんだ。
由香
 まさに甘藷さまさまですね。飢きんによって、甘藷の生産が拡大していったことは良くわかりました。それじゃ、砂とゴミはどういう関係があるんですか。まったく想像もつきません。

posted by 絢 at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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