2006年07月15日

久々田村は水田の多い村か


 甘藷の生産が拡大されるうえで、砂がどう関係するか。由香ちゃん、砂地で稲が育つと思うかい。
由香
 育つわけないでしょう。稲は、水をはった水田で育てるんですから,砂では水が吸い込まれて、なくなってしまうでしょう。

 ところが、甘藷は砂地のほうが良く育つんだ。これで答えがわかってきただろう。
由香
 つまり津田沼は砂地だから、米より芋のほうがたくさん生産されたといいたいんですか。

 察しがいいね。
由香
 ちょっとまってくださいよ。津田沼の江戸時代の名前は久々田村( くぐたむら )だったんでしょう。田んぼが延々と続いていたから、久々田という名前になったんでしょうに。

 そこが問題だ。そういう人もいるが,最も有力な説は、クコ田からきたという説だよ。つまり、水田のまわりに健康食品で有名なクコの赤い実がたくさんなっていて、その景色が印象的だったんで、クコ田と呼ばれるようになり,クグタとなまったという説だよ。
由香
 そういえば、友人の40代のお母さんが,子供の頃に、赤いクコの実をよく見かけたといっておられたのを思い出しましたよ。昭和40年代でもクコがあったんだから、江戸時代はたくさんあったかもしれませんね。そうすると、津田沼はやっぱり砂地なんですか。どうして砂地になったんですか。地震に弱いんじゃないんですか。

posted by 絢 at 00:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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