2006年07月15日

砂浜が隆起して広がった市域


 東京湾の最奥部は、今はほとんど埋め立てられて、海岸線など何キロも行かないと見えないが,昭和40年頃までは、国道14号の少し先までが海岸で、遠浅のきれいな砂浜だった。
由香
 いつの時代に、砂浜が形成されていったんですか。

 市史を見ると、縄文時代の沿岸流が、砂を運んできたと書いてある。縄文時代は1万年もあったから、東京方面から千葉のほうへ流れる海流で、厚い砂地の地層が形成されたようだ。これがたびたび隆起した。
由香
 砂浜がどんどん隆起して、かって海岸だったところが、次々内陸になっていったんですね。つまり東京湾は昔はもっと大きかったのが、隆起によって小さくなっているんですね。

 たとえば、房総半島先端の野島崎は、昔は島だったが,関東大震災の隆起で地続きになってしまった。
由香
 千葉県に住んでいると、しょっちゅう地震がありますし、歴史上の大地震もたくさん記録されていますから,砂浜が隆起して砂地の土地が広い範囲で形成されていったということは理解できますね。

 現在の習志野市は内陸部の純農村だった地域も少し入っているが、江戸時代の谷津村,久々田村、鷺沼村はみんな海に面した村だった。だから、水田に適した土地は少なかったと思われるよ。統計が残っている明治初期のころで、農業生産の8割が甘藷だったから、農地の8割が砂地だったかも知れないよ。
由香
 津田沼が甘藷の特産地になっていった理由は、縄文時代の沿岸流で形成された砂地が、地震のたびに隆起し、新たに形成された砂地も地震で隆起した。これを繰り返して砂地の市域が形成されていったんですね。次の問題はゴミですが,その前に質問。砂地の上に建つ習志野の建物は、地震に弱いんではないんでしょうか。砂上の楼閣というじゃないですか。ああこわい。

 砂の上の建物はこわいだろうね。ところが、違うんだ。
posted by 絢 at 19:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。