2006年08月09日

夏休みー3(番外編)


 急カーブをえがいた台風7号も過ぎ去ってよかったのう。少し涼しくなったよ。
由香
 台風で思い出しましたが、平成18年8月1日号の習志野市の広報の、「新習志野散策 bX1」に大正6年の大津波について書いてありますが、千葉県の死者・行方不明205人、全半壊家屋が7、518軒と出ていますが、この数字は間違いありませんか。

 当時は統計の取り方も、今とは違って不正確だったかもしれんな。わしが出したのは、大正6年10月17日の読売新聞朝刊2面からじゃが、そこでは千葉県の死者・行方不明は721人、全半壊流失家屋は20、861棟と書かれている。広報とは3倍くらい違うな。それとこの数字は住家についての数字で、倉庫や蔵、納屋は含んでいないということが書いてある新聞もあったから、実数はもっと多いようだね。
由香
 どっちが正しいんでしょう。

 新習志野散策を書かれた方は、台風が過ぎた少し後の数字を見られたんじゃないかな。わしは、もっと後にならないと正確な数字は出ないだろうと思って、10月17日の新聞の数字を採用したんだ。その意味で、出典を書くことは必要だろうね。
由香
 被害の数字は、災害の大きさを直接数字であらわしてくれるだけに、正確であってほしいですね。3倍も数字が違うんでは困りますね。ぜひ、広報は出典を記載してほしいですね。ところで、大正6年の津波の被害で、付け足すことはありませんか。

 当時の新聞から少し拾ってみようか。「錦糸町駅 プラットフォームの屋根暴風のため倒壊して、そばの汽車会社の煙突を倒す」、「亀戸駅 午前5時頃プラットフォームの上まで浸水およそ3尺、構内はすべて浸水」、「中山駅 海嘯(津波)のため構内一時約二尺ほど浸水しまもなく減水するも付近の田畑はために一面海と化す」、「千葉全市街は水中に没し寒川一面はほとんど全滅の状態なり」、「稲毛より市原郡八幡町間の国道は海嘯にさらわれ全滅の部落もあり」、「船橋浦安間延長五里の住民約180人溺死し稲の間より累々として死骸発見せらるる惨状目を当てられず」(東京日日新聞大正6年10月2日)、「千葉県浦安町沖なる灯台島の住人約三百余名は家屋ぐるみ、ことごとく激浪にさらわれて一人の生存者なく、全島海中に没し去りて片影だに止めず」(東京日日新聞大正6年10月5日)。
由香
 ものすごいですね。東京日日新聞は今の毎日新聞のことですね。
 被害を防ぐ方法について、当時はどのようなことが言われましたか。

 防波堤を造ることが最も大事であると新聞には書いてある。被害の大きさからくらべれば、防波堤を造る費用の方がずっと少ないということが書かれている。
 それから、日本の家は軒先が風に弱い。軒先がやられて、縁側の屋根が飛び、雨戸も飛んでいったということが書かれている。
由香
 史料があれば、教えていただいて本日は終わろうと思いますが。

 「大正六年暴風海嘯惨害誌」という分厚い報告書がある。船橋西図書館に行けば見られるよ。それじゃまた夏休みじゃ。ホームページでも見ていてくれよ。
posted by 絢 at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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