2006年08月25日

習志野と戦争2


 この方が言われるに、旧津田沼町は軍都として有名だった。優秀な軍人がたくさん集まっていた町だった。ところが、突然戦争が終了すると、軍人さんたちは、やることがなくなってしまった。当時は子沢山の時代で、農家の4男、5男もたくさんいた。田舎へ帰っても、跡取りでないと居場所がない。
 軍人の、このような状況の一方で、当時は日本中どこでもそうだったが、若い男性が戦争に行ってしまうので、婿不足が深刻だった。その結果、ごく自然に、行く場所のない若い軍人さんたちが、津田沼のみならず、この周辺の農家などの娘のお婿さんとして、次々と吸収されていったんだそうだ。
由香
 今でも、習志野市とその周辺には自衛隊があり、第一空艇団は、自衛隊の中でも最も優秀な人の集団だと聞いていますよ。軍隊の時代も、優秀な人がそろっていたんでしょうね。

 ここからはわしの勝手な意見じゃが、優秀な軍人は、運動能力抜群の人たちなんだろう。その人達が、習志野周辺の娘と結婚すれば、その子供も運動能力抜群の子供が、たくさん生まれるんじゃなかろうか。
由香
 つまり、戦争が終わった昭和20年から、地元の娘との結婚が始まり、その子供が高校生になるのが、昭和30年代の後半から40年代と言うことになる、といいたいんですね。その時期に、習志野高校のサッカー部の全国優勝、野球部の2度の甲子園優勝があったわけですからね。

 運動能力抜群の子供が、かっての津田沼小学校のような、運動のスパルタ教育を受ければ、鉄棒の大車輪ができる子が、たくさんいた学校になるんじゃあなかろうか。
由香
 現在でも、第一空艇団をはじめ、運動能力抜群の自衛隊員が、この周辺にはたくさんいますし、自衛隊の官舎もありますから、運動能力抜群の子供が現在も供給されているということでしょうか。

 そういう風に、我輩は勝手に思っておるのであります。
由香
 それでは、津田沼小学校を過ぎて、次の信号のところへ進みますか。

 津田沼小学校については、まだ話すことがあるんだ。
由香
 まだあるんですか。

 校舎だよ。
posted by 絢 at 22:02| Comment(1) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして


あしあとからやってきました。

わかりやすくて、おもしろいですね。
習志野といえば、中日の谷沢選手の出身地ですね。
Posted by nakamura at 2006年09月02日 22:50
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