その植草家はどこにあるんですか。
爺
すぐそこに京成電車の踏切があるだろう。開かずの踏切として有名な踏切じゃ。そこを渡って、30mほどいくと左手に、古めかしい、誰が見ても驚くような建物があるじゃろうが。
由香
屋根にはトタンがかぶせてありますが、この下は茅葺きですか。
爺
数年前まで、草葺きの屋根のままだった植草米店じゃ。「習志野の市民遺産」、という本によると、享保年間からの、習志野最古の老舗と書かれている。
由香
享保年間とは、西暦何年頃ですか。
爺
えーっと、いつ頃だったかな。たしか1720年代だったよ。
由香
それじゃ、300年近くも商店を開いているんですか。その頃から米屋さんをやっていたんですか。
爺
昔は、薪炭商だったと書かれている。米穀店を開業したのは、明治14年と書いてある本もあったよ。
由香
商店といっても、昔ながらの古民家に、米屋の看板をかけたようなお店ですね。
爺
昔の商家というと、2階建ての町屋を思い浮かべるが、このような普通の平屋の民家の土間を店に改造し、看板を付けただけの商店を、農家風商店と言うそうじゃ。昔は、田舎の商店は、みんなこのような農家風商店じゃったが、今ではたいへん珍しいお店なんじゃよ。
由香
屋根の一番上、棟の部分が変わっていますね。すごく分厚い棟ですね。
爺
瓦屋根なら、棟がわらを乗せて、すっきりするが、茅葺きなので、棟の部分に草が両側から集中する。そこに雨が入らないように、かぶせをする。だからあんなに分厚い感じになる。草葺き屋根の本を見ると、くわしい説明が書いてあったような気がするが、忘れてしもうたわ。
由香
建築年代は、いつ頃でしょう。
爺
わからない。将来建替え、あるいは保存するときに市が正式に調査してほしいね。少なくとも、国登録文化財なら、すぐにでもなる建物だよ。
由香
またまた出ましたね、登録文化財が。今すぐ、あるいはまもなく登録文化財にできるのは、瀬山邸、津田沼小学校についで3件目ですね。
爺
わしにやらせれば、この家からはたくさんの登録文化財になる建物を見つけてやれるが、所有者も市も文化財に関心がなければ、どうにもならんよ。
由香
政府は、建物が文化財になることの、ステータスを高めるようにしないといけませんね。文化財になると、建替えできない、旧工法は費用がかかる、住みにくい、補助金もない、技術者も少ない、という状況のままでは、文化財になることを拒否されて当然ですからね。
爺
とにかく京成津田沼駅北口から、わずか30mほどのところに、たぶん江戸時代か、明治時代に建てられた茅葺きの建物が数棟、群になって建っているんだから、これを文化財にしない手はないと思う。文化財審議委員は、何をしているんだという心境だね。十王堂もそうだったが。
由香
それでは、開かずの踏切の方へもどり、南口の商店街、わいがや通りに行きましょうか。