2006年09月20日

吉野園茶舗3


 吉野園茶舗が皇族だといっているんじゃあないよ。この吉野家に皇族が宿泊されたんだよ。
由香
 どうして、皇族の方が、この家に宿泊されたんですか。

 9月1日に説明したように、当時は国民皆兵の時代で、皇族といえども兵役の義務があった。津田沼は当時軍都といわれ、たくさんの部隊があったから、皇族がこられることも多く、その際に、地元の家を借りて、宿舎にされたんだよ。
由香
 ここにはどの皇族の方が、宿泊されたんですか。

 大正13年に、秩父宮殿下がお泊りになられている。
由香
 旅館ならまだしも、一般民家に突然皇族の方が泊まるといわれると、びっくりするでしょうね。

 将司正之輔という地元の小学校の校長を歴任された方が、「ならしの見聞記」という著書の中で当時の模様を記録されている。ここに引用させていただこう。
 「大正13年11月6日、午後7時に中島町長と伊藤助役が訪問され、今月9日夜、秩父宮殿下秋季演習のため、歩兵第三連隊第六中隊第一小隊長として参加、当久々田に御宿営、そのため宿舎の儀を吉野家にお願いしようとした。7日直ちに準備にかかったが、、「乍併空前の事なるが故」の言葉に含まれているように何をどう準備してよいかわからない。そこで伊藤助役と同道し、麻布歩兵第三連隊に出頭し、連隊副官及び侍従武官と面会し、舎主としての心得を伺い、帰途三越呉服店にて買物を済ませて、八時過ぎ帰宅する。
 留守中には、船橋警察署より警部補以下六名が来て、宅地並びに建物等の図面を書き、警衛の資料を作った。
 夜八時半、久々田駐在所巡査が尋ねきて、本署よりの注意を伝達して帰った。
 八日早朝大工勘兵衛、職人一名を雇い、入浴場周囲の手入れをし、とび職弥平(通称代屋)他職人二名を雇い、座敷、廊下、便所の掃除、浴場の清潔、家人小人数のため、午後はさらに二名の手伝いを入れて夜十時過ぎまでかかって工事を終了した。
 町役場からも人夫一名、庭掃除女二名を派遣され掃除に協力、舟橋警察より署長以下数名出張し来り、警戒の部署注意、さらに県庁より衛生技師と嘱託医がきて、舎主及び家族の健康診断、特に殿下に供進すべき食事、茶菓に至るまで、詳細にわたって注意をする。」
 このへんでやめておこう。
由香
 家を修理したり、家族全員が健康診断を受けさせられたりと、たいへんですね。そのうえ、ほとんどの部屋を殿下とお付きの方に提供するわけですから、家族はどこに寝るんでしょう。

 たぶん、親類の家に泊りに行ったんだろうね。将司先生の本には、このような貴重な記録が書かれているんで、興味深いね。
 この中で、とび職弥平(通称代屋)というのは、現在も大屋(だいや)の屋号で型枠業をしている地元の業者だよ。
由香
 当時の皇族の方々とこれだけ身近に接した地域は、習志野市以外にはないでしょうね。

 「習志野市史、別編、民族」の中にも、閑院宮妃殿下とのエピソードが書かれているよ。
 最近では、戦争の遺跡が文化財として見なおされている、習志野市は軍都といわれたんだから、戦争に関することを再調査し、歴史の一部として、観光などの資源に役立てるべきではないだろうか。
由香
 市役所が、これまで避けてきたテーマだけに、難しいんじゃないですか。

 そうかもしらんな。

posted by 絢 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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