2006年10月05日

津田沼の東漸寺11

由香
 いま、東漸寺にいますが、ここのどこが未調査なんですか。

 東漸寺の、この本堂の建築年代がわかっていないんじゃ。
由香
 東漸寺は、何度も火災に遭っていると、よく書かれていますね。過去帳も明治時代と、それ以前のものはないと聞いていますよ。

 ということは、最後の火災は大正時代にあったということになると、想像されるな。
由香
 何か、大正時代に火災があったという記録がありますか。

 わしが調べた範囲では、大正2年の6月頃に30軒が焼けたという、個人の日記を発見している。この日記では、市内のどこが焼けたかは、書かれていないので不明だ。しかし、市史資料編に出ている久々田町会文書の、大正3年1月に、「 東漸寺本堂大破に及びその修繕に要する金千円也 」という記録がある。ひょっとしたら、このときの火災で被害を受けた、復旧の予算じゃったのかもしれん。
由香
 たった、千円で本堂が建ちますか。

 今とは貨幣価値が全く違うよ。ならしの風土記という本に、明治34年に建築された、二つの教室と職員室からなる大久保小学校の建築費が、1、499円58銭7厘と書かれている。それから、14年後の千円なら、本堂だけなら十分建つんじゃなかろうか。明治44年完成の、津田沼町役場の新築費用でも、1、928円じゃ。
 そんな理由で、わしは東漸寺の本堂の建築年代を、大正3年か4年と考えておるんじゃ。
由香
 大正時代のことなら、そんなに古い話じゃないんですから、知っているお年寄りがいるんじゃないんでしょうか。

 わしもそう思って、地元で三代にわたり、とび職をやっている人や、二代大工をやっている人に聞いたが、誰も知らんのじゃ。不思議じゃなー。
由香
 何か、確定する方法はないんでしょうか。

 やはり、屋根裏を見ることじゃろうな。寺社ならたいてい棟札があると思うよ。それで決まると思うが、神聖な建物の屋根裏は、なかなか入れないから、当分確定はできないね。確定できれば、すぐに国の登録文化財にはなるよ。
由香
 誰が建築したんでしょう。

 このまえ話した、地元で7代続いた都築工務店だといわれている。
 都築工務店は、今では工務店をやっていないので、市の文化財担当者が、かっての都築工務店の関係者と連絡をとって、東漸寺や瀬山邸、その他の関係資料がないか、ぜひ調査してほしいものじゃね。もし残っていれば、貴重な資料になると思うよ。
由香
 郷土資料館があれば、すぐに動く話でしょうに。残念ですね。
 それでは、次に廣瀬家の屋根裏について、説明していただきましょうか。

posted by 絢 at 04:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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