それでは、御大典記念道を歩いて行きましょう。この京成津田沼駅北口の踏切そばにある石碑から、線路に沿って歩いて行きましょう。すぐ左には、京成電鉄津田沼駅社員食堂と書かれたプレハブッぽい建物がありますね。それを過ぎるとすぐに新京成の踏切があります。踏切の右には、調理師を養成する専門学校があります。40年も前からあるそうで、最近校舎が立派なものになりました。
爺
この専門学校では、中華料理、西洋料理、日本料理、それにパテシエコース、つまりお菓子作りを習うコースもあるそうじゃ。卒業すれば、調理師免許が取得できるぞ。
由香
なんでもあるんですね。近くにお料理学校があるのは、女性にはありがたいですね。
爺
この、新京成の踏切は、ここからしばらくの間だけ単線なんで狭くなっている。そして、大きく右に曲がって、JRの線路を鉄橋で越えて、ぶらり東通りのイトーヨカドーの先の道路も越えて、新津田沼駅に行く。このJRを越える鉄橋が、陸軍の鉄道隊が架けたものらしい。
由香
たしか緑色に塗られた鉄橋でしたよね。あそこを新京成の電車が通ると、ものすごい音がしますよね。近隣の人はたいへんな騒音じゃないんでしょうか。
爺
JRの音もすごいから、気にならないんじゃないかな。それより、鉄道隊が架けたということは、少なくとも60年以上は経っているから、国の登録有形文化財建造物としての資格がある。
由香
60年以上前の、鉄橋遺構としての文化財的価値と、鉄道隊が演習で架けたという、戦争遺構としての両方の歴史的価値がある鉄橋ということですね。でも、あの鉄橋って、近くで見ることができない鉄橋ですよね。
爺
コナミスポーツクラブがあるじゃろう。あの建物の後ろへ行って、ずっとJRの線路ぎわまで行くと、近くで見られるが、たぶん、あんなところへ行く人はほとんどいないじゃろう。
由香
そんなところに、説明板を立てても、だれも見る人はいないでしょうね。
爺
歴史のあるところを散歩するという点では、こんな不便な場所があっても、おもしろいんじゃなかろうか。
是非、説明板を立ててほしいね。
当時、銭湯は物資不足のため、週に,日ほどしか開きません
大久保の梅の湯が休みの時は、津田沼や船橋まで開いている銭湯に行きました。
ある日、津田沼の吉野湯?さんの帰りに津田駅のプラットホームに居る時、空襲警報が鳴った。
母と私は、ホームから土手の防空壕に、向って線路内を夢中で走り、その防空壕にたどり着きましたが、
何と、入り口は大便の山です、防空壕内で大便をしたら入れなくなってしまうから、表に出て入り口でしたのでしょう。
4歳の私にはとてつもなく大きく、うず高く、猛烈な臭さでしたが、避けて中に入りましたが、
敵機は来ず、機銃掃射は免れましたが、今でもあの便の山は忘れられない。
しかし、本当に怖かったのです。当時、大久保では機銃掃射で、駅の南側で女性が一人、
そして当時の幕張町馬加(今の花咲町)で母親が即死、子供2名が重症を負いました。
こう云う話は、したくないのですが、知っているものは話すべき使命を負っているのだと思います。
戦後の物資のない中、多大な犠牲者の生き残った家族達が、食うものもない中懸命に働きづめで、
今の社会の土台を造り、今の社会を造り上げてきたのです。
そのことを、人々は積極的に知るべきですし、知らせるべきです。
敗戦後の京成津田沼駅脇の闇マーケットから、10年経たぬうちに白鳥さんは習志野市を作り上げました。
街に心ある人々が沢山居ましたよね、久々田、谷津、鷺沼にも勿論大久保にも歴史には載らないが立派な庶民が!
そうゆう今のお年寄りを大切にする、その大人達の背中を見て、子供は育つのです。
オリンピックの聖火がどうの、メダル幾つ取れるなど、以前の東欧、共産圏のように成ってしまった日本人
上手く愚民政策に乗せられたようです。
NHKのニュースも新聞もスポーツ報道が多すぎると私は思います。
選手は立派なスポーツマンですが、見物者は娯楽です。少年野球を利用する政治家など論外です。
目は心のマナコでなければならい!人間だもの。冗談じゃない、ホンキです。
習志野市の名の原点である習志野騎兵旅団司令部跡地が日大に売られるという噂はとうとう現実になりそうです。
買った値段の3分の1で、(鷺沼台の京成線に架けた歩道橋の値段位ですね)私たちの税金なのに!
私は「一億玉砕」の員数に入っていたんです。嗚呼
戦中戦後に比べれば。御年配のおじいちゃんおばあちゃんと仕事の合間、お茶の時に「此処はこうだったんだよ、あの頃はね・・・。」
涙がこぼれる事もあります。「今は幸せだよ!」ではこれからの未来は駄目なんですよ。「昔も今も未来も、些細なことでも幸せだよ」と
言える世の中にしないと。それには、”一億玉砕の生き残り”さんの
コメントにもあるように社会の基盤を作り支えてきた方々の生の声が
何よりの宝物だと私も感じます。
この、御大典記念道(どこの道でも)を一歩踏み込んだ時、同じように、いにしえの誰かが同じように踏み込んでいたのでしょう。
まだまだ私のような若輩者には、判らないことが沢山あります。
綺麗な言葉だけでなく、わかりやすい言葉で教えてください。
地元を知らないで、市や県、国を知りえません。
一億玉砕の生き残りさんのコメント、勉強になりました。
昨日も今日も、自分の欲求のはけぐちの如く、人をあやめる世の中
(勿論、全てではないですよ)、おせっかいでも相手の気持ちを
少しでも汲んであげられるよう。ゆっくり生きましょうよ!!