2012年12月29日

津田沼12−33

旧陸軍習志野学校跡地のほんの一部

由香
 じいさん、何ですかこのちっこいちっこい写真は?

 さむねいるじゃ。
由香
 何のことですか、サムさんが寒くて寝込んだんですか。

 それは「サム寝入る」か「寒寝入る」じゃ。
 写真をクリックすると拡大していくのをサムネイルというじゃろうが。
由香
 すいません。わざとずっこけてみました。ここは2回まで拡大するんですよね。
 この写真は、誰かが原っぱを掘り返して、ブルーシートを掛けたようですね。

 赤筒が発見されたというんで、習志野市泉町の旧陸軍習志野学校の広大な跡地を見に行ってきた。
由香
 ここがその現場ですか。

 わからん。当時、研究所の建物が建ち並んでいたという、現在の「習志野の森」の北側は広大な公務員宿舎になっている。その一角に、掘り返したあとがあったんじゃ。ここ以外に、それらしい場所はなかったよ。
由香
 そもそも、毒ガス兵器研究所をどうして習志野学校といったんですか。学校じゃあないじゃないですか。

 どこかの国が、大陸間弾道ミサイルの発射を人工衛星の打ち上げと言っとるじゃろう。もし、「習志野毒ガス兵器研究所」という看板を掲げたら、どうなると思う。
由香
 全世界から非難されますよ。どこかの国みたいに。

 スパイ養成機関を陸軍中野学校といったのと同じ事じゃ。
由香
 オブラートに包むということですね。

 そんな甘い感じの言葉かなあ。
由香
 「遠まわしに言う」という表現ですか。

 遠すぎて意味が伝わらんじゃろう。
由香
 「羊頭狗肉」ならどうですか。

 まあ、それの方が近い言い方かなあ。学校といいながら、毒ガス兵器を研究しとったんじゃから。
由香
 全世界から非難される研究所だったから、習志野市も国も調査をせず、放置しているんですか。

 よくわからん。しかし、「陸軍習志野学校」という本は編纂されている。
由香
 どこで見られますか。

 それがどこの図書館へ行っても置いてない。
由香
 爺さんが、千葉県の歴史史料の宝庫だという船橋西図書館はどうですか。

 習志野市内の図書館、船橋西図書館、千葉県文書館へ行っても開架には置いてない。
由香
 閉架から出してもらえばいいじゃないですか。

 それが、わしは気が弱くてできない。どうして誰もが見えるところには置かんのかなあ。見てはいかんのかなあ。
由香
 しかし、旧陸軍習志野学校跡地で初めて発見された毒ガス兵器なんですよね。まだまだあるかもしれませんね。おお怖い。

 習志野市内には、まだまだ興味深い歴史の闇が眠っておるということじゃ。
由香
 研究所の建物が建ち並んでいた地下、ガス室といわれる八面房の周囲、材料が置いてあった倉庫周辺、おおこわい。
 でも、旧町名である津田沼町には、多くの騎兵連隊があり、参謀本部があり、鉄道隊があり、戦車学校があり、毒ガス兵器研究所、皇族も大将として町内に、地元の人の家を借りて住んでいたのに、どうして米軍はB29でじゅうたん爆撃しなかったんでしょう。

 よくそんな言葉を知っておるなあ。
 米軍は、終戦後、習志野学校を接収し、学校史の作成を命じたという。
由香
 学校史を作れといったんですか。破壊するんじゃあなかったんですね。
 そして、それが「陸軍習志野学校」の本になったんですね。
 米軍は、津田沼があまりにも日本軍の中枢部だったんで爆撃しなかったということですか。

 アメリカに聞いてくれ。
posted by 絢 at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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